2025年5月10日土曜日

行動経済学の逆襲

 「行動経済学の逆襲」(リチャード・セイラー, 遠藤 真美 (訳))をオーディブルで聴いた。

本書の主張は、経済学が前提に置く「合理的経済人(エコン)」モデルでは、説明がつかない現象がたくさんあること、その現象は、損失回避 (人々は損失を回避しようとする意思決定をする傾向が強い心理学的な現象)などの人間の心理現象をモデルに導入することで一部説明できる、さらに、作成したモデルを予測モデルとして活用すると、人々の行動を特定の方向にそっと誘導する手法、ナッジ、を構築できる。というものである。それを行動経済学を開拓した第一人者である著者の一代記として紹介しており、とても面白かった。

が、本書がその後巻き起こすであろう影響という観点では、すごくありがちに兆候的な本だとも思った。

こういう本、ある分野を開拓した第一人者が、その経緯を回想しながら紹介する、の例として思いつくのは、例えば、グールドの「ワンダフル・ライフ」であろう。「ワンダフル・ライフ」でも「行動経済学の逆襲」でも、研究過程で出会った、多くの同僚や、仲間、論敵などが生き生きと描かれる。本を読んでいると、著者がグループのリーダー格で、チームはみんな仲良し。というイメージをなんとなく持ってしまうのだが、「ワンダフル・ライフ」の訳者あとがきによると、グールドのもっとも重要な共同研究者が、「ワンダフル・ライフ」をボロカスに言っている。という話が紹介されている。あくまでも、仲良しイメージは、著者の一面的な感想にすぎず、さらに、グールドが周囲からなんとなく浮いているような、研究コミュニティーあるあるな風景が垣間見えるのが、大変興味深かった。本書でも、リチャード・セイラーは自分のリア充ぶりをわりとチラ見せしてるし、本書を出してすぐ、2017年にはノーベル経済学賞を受賞してしまうので、さらなるやっかみはさけられないだろう。なので、ほんとのところどうなんだろか?と野次馬根性がうずいてしまった。オーディブルには「訳者あとがき」はないのだけど、書籍版なら何か手掛かりがあるのかしらん。

また、本書はかっこいい。旧来の合理的経済人モデルはすでに過去のものであり、行動経済学が提案する、より包括的なモデルを使うことで経済学はより現実を説明することが可能となり、その成果を活用したナッジを開発することで社会をよりよくできる!という展望が示される。示された展望はとっても魅力的で、へぇー度も非常に高く、「行動経済学」という学問の可能性を社会に紹介するという役割は十全に果たされているだろう。

すると、ありがちな反響がおきる。特に「より包括的なモデル」にいち早くキャッチアップした、アーリーアダプターが続々と登場して、「より包括的なモデル」がうまくいった例が続々と提出されるようになる。アーリーアダプターには2種類ある。1つめは、ある未解明の現象の一面が「より包括的なモデル」で説明できた。という研究者だち。こういう人たちは、自分の見ている現象の不可解さをよく理解していて、その解明につながる「何か」を常に探しているし、かといって、「より包括的なモデル」ですべてが説明できたわけでもないことも知っているのであんまし深入りはせず、すぐ自分の研究領域に帰っていく。ただ、そういう報告が相次ぐと、「より包括的なモデル」というのがかなり普遍的のように見えるようになり、社会的な期待が高まるブームっぽい状況になる。すると、その期待に応えるのは私ですという、ファッショナブルで革新者っぽいイメージを纏った次の一群が登場し、「より包括的なモデル」のややせこめの適用例が山積みとなりはじめる。しかし、しばらくすると、実験がぜんぜん再現しないとか、「より包括的なモデル」の例外も多く見つかるようになり、「(かなり限定された条件での)より包括的なモデル」であることがわかりはじめ、最終的には、「この包括的なモデルが適用できる条件」などが解明される検証期を経て、研究ツールとしての評価が確立する。というあまりファッショナブルではない状況となる。そのころには、みこしをかついだみなさんは、新しい「より包括的なモデル」に移行していて特に反省はない。という光景は、「利己的な遺伝子」「散逸構造」「システム」「カオス」「スケールフリー」などを経たわれわれには見慣れたありがちなものであろう。

実際、行動経済学でも、2020年ころに「行動経済学は死んだ」という記事が出始め、再現しない、とか、例外がみつかるという状況になったらしい。さらに、つい最近には、日本でも、「行動経済学の死: 再現性危機と経済学のゆくえ」という本が出たりして、検証期に入っているようだ。

ナッジの話を聞いて2つ感想を持った。ひとつは、これは流行の話ではないかということである。音楽や、消費行動、ライフスタイルに流行があるのはいうまでもない。しばらく流行したあと、あっというまに忘れ去られるもののあれば、選択肢の一つとして定着していくものもあるが、いずれにせよ、流行は次第に飽きられて長続きはしない。学問分野にも流行りすたりがあるのも当然だろう。さらに、流行とは、人為的な働きかけの結果、人々が行動を変容させて起きたものであり、ナッジが目指すものそのものではないだろうか。そうすると、あるナッジに効果があったのは、「バズった(<=これももう古い)、流行った」のであり、そのうち飽きられて効果を失ってしまうこともあるような気がする。行動経済学は「ヒューマン」の選好を公理的静的に扱おうとしているように見えるが、じつは選好そのものが、かなり飽きっぽいものなのかもしれない。

もう一つは、ランダム化比較試験(RCT)の使い方である。介入実験では、サンプルを介入した区と、介入しなかった区の二つに分け、結果の比較から、ある介入に効果があったかどうかを統計的手法をもちいて判定する。RCTは、意図した介入以外の要因が結果に影響しないようにするための、実験デザイン方法の一つである。「行動経済学の逆襲」でも、RCTは熱烈推奨されている。RCTを導入する目的は、「ある介入には、こんなに顕著な効果があった。RCTで得られた結果であるから、この効果が他の要因に起因するという説明はできない」という、バイアスの排除にある。一方、RCTを導入すると、バイアスに隠れがちなすごく小さな効果も検出できてしまう。なので、RCTが、「ある介入には、小さいけれど介入に起因する統計的に優位な効果があった」という小さい効果を検出するために使われ、さらにいつのまにか「小さいけれど」の部分が無意識的になくなり、「ある介入には効果があった」という話になってしまいがちである。「行動経済学の逆襲」でも「効果は小さいが効果は確かにあった」という説明がちらほらあった。こういう結果はもちろんあまり再現しない。

ちなみに、こういう議論は生物研究、特に創薬の分野ではおなじみのものであり、ある剤が効いたり、効かなかったりする異なるRCTの結果に対しては、「コンテキスト依存的である」というクールな評価をする。あまり効かない剤でもなんとか臨床に持っていくために(投資を回収するために)、ある剤が効くコンテキストの人をゲノムデータとかを用いて選び出すことを「個別化医療」とか「テイラーメイド医療」とか呼ぶ。この例に倣うと、そのうち、ナッジを活用した政策パッケージにも「個別化ナッジ」とか「テイラーメイドナッジ」とかが出てくるんじゃないだろうか。でもこれって、いわゆるマイクロ・マーケティングそのものであり、個人のコンテキストを推定するための、行動履歴データが必要となる。そのうち税務署が、税金滞納のテーラーメイド督促状の作成を、データを持つグーグルやアマゾンに依頼する時代が来るのだろうか。。









2025年5月6日火曜日

マタイ受難曲

 「マタイ受難曲」(磯山雅、ちくま学芸文庫)を読みました。それから4月12日には大阪バッハ合唱団 第29回演奏会のマタイ受難曲を、西宮北口は芸術文化センターKOBELCO 大ホールまで聴きに行きました。さらに、レオンハルト版のマタイ受難曲を休みの日に通しで聴いてみました。

「マタイ受難曲」を初めて聞いたのは今からたぶん27年くらい前で、1998年に出たブリュッヘン版のCDを買って、ながらく聴いてきました。ドイツ語の歌詞を聞き取れるはずもなく、受難の意味もよくわからないまま、ただ、何か抜き差しならない切迫した感情とその中なら立ち上がる美しいコラールに惹かれてきたのです。また、1999年4月1日にシンフォニーホールで行われたバッハコレギウムジャパンのコンサートを聴きに行き、一番安い2階席の端で通しで聴く機会がありました。そのとき、イエスの遺体を引き取った後に流れる第65曲バスのアリア 'Mache dich, mein Herze, rein' のとき、右側のパートのバイオリンのお姉さん(この曲では出番なし)が、ノリノリで音楽に聞き入っているを見て、この曲の素晴らしさに気づき、以来、何度も聴き返してきました。

「マタイ受難曲」の歌詞の意味がわからず、当時岩波から出ていた、佐藤研翻訳、注釈の「新約聖書〈1〉マルコによる福音書・マタイによる福音書」を読んでみたりしたのだけど、信心のない私には歯が立つはずもなかったのでありました。

最近になって本屋で磯山氏の「マタイ受難曲」を見つけて、これこそが私の探していた本であることに気づきました。本書では、マタイ受難曲の歌詞がなぜ、こうなったのかを説明してくれます。まず、マタイによる福音書への、ルターによるプロテスタントからの解釈があり、それをもとに受難を論じたハインリッヒ・ミュラーの論考があり、そこで展開された様々な概念がピカンダーによる歌詞となったそうです。バッハの蔵書には、ミュラーの論考があり、バッハの作曲も強く影響を受けていることが確認できるそうです。例えば、序曲でイエスが子羊の花婿に例えられてるのも、何でやろ?と思っていましたが、長い聖書の読解の中で作られた比喩であると教えてもらえます。次の、「ベタニアの香油」として知られるエピソードは、ベタニアで食事中のイエスの体に、一人の女が超高価な香油を注ぐ。周囲の弟子たちは、「もったいない、それを売ったお金で多くの人をすくえるのに」、といって怒るが、イエスはこの福音が世界に延べ伝えられるときには、この女のしたことも語え伝えられるだろう」といって擁護する、というこれまたなんで?という話です。これも、当時の習俗や聖書解釈を踏まえて「イエスへのあふれるばかりの尊敬、感謝、そして愛情に促されてのものであったに違いない。」と、まるで我々読者の手を引くかのように、この受難の世界へと連れて行ってくれるのです。

読み進めながら、第65曲バスのアリアを磯山氏がどのように解説するのかは大変楽しみでした。 'Mache dich, mein Herze, rein, ' は、私の心よ、おのれを清めよ。と訳せます。これは、ミュラーの「イエスの形見をもらい受けた心は、自らを清め、イエスを内面に葬り去ろうとする。」という発想に基づくものであること、このアリアが清浄の気に満ち、冒頭の合唱曲からは、「なんと異なった世界となったことだろうか」との説明の後、2行目、「Ich will Jesum selbst begraden」は直訳の「私はイエスを自ら葬ろう」ではなく「自らを墓として」と解さねばならないとしたあと、本書の中でここだけ、磯山氏が学生時代の演習時に、師匠の杉山好教授から聞いた、「この歌詞のselbstがmein Herzeから14番目の音であることに気づいてから、この部分を「おのれの心を墓となして」としか訳せなくなったとおっしゃった」と紹介しています。BACHをアルファベット順に足していった14はバッハにとって特別な数なので、ここでの「おのれ」とはバッハ自身のことであるという指摘です。これを受けて磯山氏も、「この音楽がバッハ自身の決意であり、彼の信仰告白の表現であると、感じないわけにはいかなくなってしまった」とのべ、この曲の素晴らしさの源泉がどこにあるのかを教えてくれるのでした。

本書が素晴らしさは、磯山氏の読者への姿勢と語り口にあります。p148の「しかし《マタイ受難曲》においてバッハはさらにその先を行く、、、われわれはそれによって、」という語り口とは、読者であるわれわれを信頼してマタイの世界に引き込みつつ、その上で確信をもって語りだそうとするものにしか、書くことのできない文章であると思いました。作品と読者への愛に包まれた文章であり読んできてものすごく元気が出るのです。また、本書を一読して思ったのは、「マタイ受難曲」という音楽の素晴らしさ(あるいは作品へのおのれの愛)を、より多くの読者に説明するべく、これだけの知見と研究成果を語りに語れることは、間違いなく学者冥利に尽きるだろうということ、さらに、読者であるわれわれも、本書を母国語で読むことができる幸運に心より感謝しつつ、磯山氏に見込まれた読者であることを誇りにしながら、「マタイ受難曲」を聴いていく使命を負っているようにも感じるのです。

大阪バッハ合唱団のマタイ受難曲は、まず、リーダーの畑 儀文氏が聴衆に短い説明を加えていました。大阪のおっちゃん?らしく笑いを取りつつ、マタイで一番大事な曲は9音しかないんです。第63曲ですから、注意して聞いてくださいね。あと、私がエバンゲリストで歌いつつ指揮をするので、こっち向いたりあっち向いたりします。という説明のあと、たしかに、驚きの歌い振り方式で曲が始まりました。今どきの古楽っぽいいいテンポで進み、サクサクしたテンポですすみました。63曲ではイエスが息を引き取った後におきた、数々の天変地異やら黄泉がえりやらの奇蹟を、エバンゲリストとして、聴衆に向けて述べた後、後ろを振り返って、マタイ受難曲の中核をなす一説である「本当にこの方は神の子だったのだ」の合唱を指揮しながら、真摯に愛を告白しておられるように見えました。



2025年4月25日金曜日

謎ときエドガー・アラン・ポー―知られざる未解決殺人事件―

「 謎ときエドガー・アラン・ポー―知られざる未解決殺人事件―」(竹内康浩著)を読んだ。最近はオーディブルで聴いてばかりいたけど、千里中央の田村書店で見つけて即買いして一気に読んだ。エドガー・アラン・ポーの短編「犯人はお前だ」(これまで読んだことなかったであります)から、知られざる未解決殺人事件があることを読み出し、「物語の語り手」がその犯人であると推理している。「語り手」の語りの裏を読んでいく謎解きは鮮やかだった。また、本書の後半では、「犯人はお前だ」の構造、オリジナルとコピー、を起点として、ポーの作品論まで展開していて力量は文学者の底力を見た気がした。。

がしかし、本書を読んだ後も、いくつかもやもやした疑問が残った。

一つ目は、探偵役であり、さらに本書で竹内氏に犯人と名指しされた「物係の語り手」って誰?という疑問である。この語り手は、シャトルワージー家の内情に異様に詳しく(イロイロ立ち聞きしすぎ)、かつ、シャトルワージー氏の捜索に参加しなくてもそれほど怪しまれず、グッドフェロー氏に殺意を抱く同期があり、かつ、グッドフェロー氏の企画したパーティーに呼ばれるステイタスがあり、後述のように、「私の使用人」を持っていてさらに、周囲から全く怪しまれてなかった人物である。角川文庫『ポー傑作選2 怪奇ミステリー編 モルグ街の殺人』で「犯人はお前だ」の新訳を行った河合祥一郎氏の訳文を読む限り、河合氏は「物語の語り手」を殺されたシャトルワージー氏の執事と推定したらしい。確かに執事だと、シャトルワージー邸内での様々な目撃証言もつじつまがあう。また、シャトルワージー氏が、シャトーマルゴー1ケースをグッドフェロー氏にプレゼントするから発注してくれ、と依頼しても、執事ならもみ消すことは可能であろう。唯一、ちょっとヘンなのは、話の最終局面で「私の使用人に箱を運び込むよう指示した I gave instructions to my servant to wheel the box」と言っている点である。執事は、屋敷にいる使用人を「私の使用人」と呼ぶ事はあるのだろうか?

次の疑問は「犯人はお前だ」の中で、語り手が物語の叙述を離れて自分の意見を展開し出す点である。わざわざ持ち出すということは、そこにヒントが隠されているのは間違いないだろう。最も紙幅を割いている、すなわちもっとも重要そうな持論が、「過去の小説の中で、ラテン語のcui bono? を、何のために?と訳してきたのは間違いであり、だれが得をするのか?と訳すのが正しい。」と述べている点である。わざわざここまで言うからには、隠された未解決殺人事件の犯人も何かの利益を得ていたはずである。結果的に、甥のペニフェザー氏は、財産を相続するという利益を得たが殺人犯ではなさそうである。では、殺人犯の執事が得た利益って何なのかがはっきりしない。

さらに、「犯人はお前だ」には、誰かを犯人に名指しした人は、次に誰かから犯人と名指しされる。という構造があることは明らかである。グッドフェロー氏がペニフェザー氏を犯人と名指しし、次は、「語り手」がグッドフェロー氏を犯人と名指しし、さらに、本書の著者の竹内氏(「犯人はお前だ」の読者でもある)が「語り手」を犯人と名指しした。となると、ペニフェザー氏はこれ以前に誰かを犯人と名指ししたのかもしれない。

ポーは「犯人がお前だ」の翌年に「盗まれた手紙」という作品を書いている。「盗まれた手紙」は「犯人がお前だ」の攻略本でもあるらしい。内田樹の「物語の構造分析」にものすごく見事な解説があるので、ぜひ、多くの方に読んでもらいたい。「盗まれた手紙」が教えてくれる攻略法とは、人は秘密をどのように隠すのか?という点と、秘密の持つ機能である。

まず、人は秘密をもっとも目のつきやすいところに隠し、秘密を暴く人は自分が隠しそうなところを探す。という教訓である。「盗まれた手紙」では大臣は盗んだ手紙をリビングの状差に隠し、そこには何もない、というフリをしなくてはならなくなって動きが怪しくなる。それを探す警部は、自分が隠しそうな屋敷の屋根裏とか、椅子の隙間などを探すので見つからない。

では、「犯人がお前だ」に何かが隠されているとして、それはどこに隠されているのか?誰にでも目に付くが、あまり覚えてないところというと、冒頭ではないだろうか。

「犯人はお前だ」の冒頭は以下である。

I WILL now play the Œdipus to the Rattleborough enigma. I will expound to you — as I alone can — the secret of the enginery that effected the Rattleborough miracle — the one, the true, the admitted, the undisputed, the indisputable miracle, which put a definite end to infidelity among the Rattleburghers, and converted to the orthodoxy of the grandames all the carnal-minded who had ventured to be skeptical before.

これを見る限り、本作を読むときには、オイディプスの神話の”infidelity”(この後には不貞という意味が強いようだ)を意識しろ。と、WILLの強調からこれから悲劇は起きる。と言っているように見える。では不貞とは何か?悲劇とは何か?となるが、何しろ名前がついた登場人物が3名+語り手の4名だけの世界なので、文章の矛盾や言い回しを手がかりにいろんな可能性を推測できるだろう。グッドフェロー氏が、ペニフェザー氏のことを、シャトルワージー氏ではなく「グッドフェロー氏の相続人」と呼んだという一件だけからも、やおい的な過去をいくらでもやおい的な妄想の世界が展開できそうである。

次の疑問は、「語り手」をどれくらい信頼するのか?である。「 謎ときエドガー・アラン・ポー」では、「語り手」の語りの微妙な矛盾から(一つの出来事を伝聞として記述したときと、自分の体験として記述したときに内容が異なる)、「語り手」をいわゆる「信頼できない語り手」とみなし、「語り手」が話す内容の一部(シャトルワージー氏が酔っ払って、シャトーマルゴー1ケースをグッドフェロー氏にプレゼントすると言っていたという、語り手の証言)が虚偽であると主張してる。

確かに、「語り手」自身が、「捜索の結果、何の手がかり(no trace)も得られなかった」。と言った後、「When I say no trace, however, I must not be understood to speak literally; for trace, to some extent, there certainly was.私が手がかりがないと言っても、それは文字通りに受け取られるべきではない。」と警告してくれている。

では、記述の微妙な矛盾や、「語り手」自身の警告をもとに、読み手はテキストの一部を虚偽とみなしていいのだろうか?もちろん、正解はもはや存在せず、全くもって自由に読んだらいいので、どこをどう虚偽を見なすのもアリである。が、やはり、ここでは「意図的ないい落とし、誇張はあるにせよ、テキストにあからさまな虚偽はない」という前提に立って解読を進めるべきではないだろうか?理由は2つあり、1つ目はそうしないとなんでもアリになってしまい、ゲームとして収拾がつかないこと、また、善意の原理(テキストの内容は概ね正しいとして解読する)を適用した読解の方が、面白いに決まっているからだ(学生の頃、この善意の原理が、レーブの定理そのものであり、推論者が決定不能状態になる、という「科学論科学史基礎論」のレポートを書いたことがある。が、内容は忘れた)。

「語り手」がわざわざ警告しているからには、「犯人はお前だ」のどこかに、文字通りに受け取るべきはない場所があるのだろう。さらに、何かがそこにない、と言っている場所に限られる。そこで「no なんちゃら」という表現を本文中で検索すると22ヶ所ある。このうち、「語り手」の1人称の部分でもっとも印象的な用法は no doubt で、例の怪しい部分である。

私は「オールド・チャーリー」が旧友からワインを受け取ったことについて何も言わないという結論に至った理由を何度も想像して頭を悩ませてきましたが、彼が沈黙していた理由を正確に理解することはできませんでした。もちろん、彼には何か素晴らしい、非常に寛大な理由があったに違いありませんが。I have often puzzled myself to imagine why it was that “Old Charley” came to the conclusion to say nothing about having received the wine from his old friend, but I could never precisely understand his reason for the silence, although he had some excellent and very magnanimous reason, no doubt.

要するに、秘密にしておきたい何か素晴らしくない、寛大でもない理由があったのですよ、と言っているように読める。

このように、気になった読者は、あれこれ推理するのである。ここが「盗まれた手紙」が教えてくれる攻略法に再び目を向けるタイミングであろう。それは、秘密を暴こうとするわれわれは、自分が隠しそうなところを探す。そして、何かを見つけたとしても、それは、自分の願望(たぶん自分が隠しておきたいもの)の反映でしかない。という点である。われわれは自分の推理を通じて自分に出会うのだ。

それから、秘密(手紙)を盗んだ人は、秘密の持つ権能に抗えず、必ず秘密を盗まれる側に回るという構造を持っている。という秘密の機能である。「犯人はお前だ」つまり「私は貴方の秘密を知っている」言って、勝とうとすると必ず次に負ける。という教訓である。一昨年度にミステリ大賞を総なめした「地雷グリコ」でも、主人公が、「ゲームの必勝法とは相手に勝ったと思わせることである」と語るように、広く知られている教訓であり、皆よく理解しているハズであるが、どうしても「犯人はお前だ」と言いたくなる欲望になかなか勝てない。少なくとも「 謎ときエドガー・アラン・ポー」を書いた竹内氏も、こんなブログを書いている私も、秘密の持つ機能に抗えず、必敗の道を歩みつつあるのだろう。いつか竹内氏と読者である我々は、誰かから「犯人はお前だ」と名指しされる番が来るはずである。楽しみである。

ちなみに、「物語の構造分析」では、負けない方法も教えてくれる。あえて負けてみせること(これは地雷グリコの教訓おなじ)。秘密をパスすることである。「 謎ときエドガー・アラン・ポー」は大変優れたパスであることは間違いなく、少なくとも私はそのパスを受けた。





2025年4月12日土曜日

暇と退屈の倫理学

「暇と退屈の倫理学」(國分功一郎)を読んだ。オーディブルで聴いて驚いた。 「暇と退屈」こそが人間の根幹にあるという視点を通じて、農耕の起源から、マルクスの疎外論、ハイデガーの現存在に、ドゥルーズ、はやりの脳科学まで語りつくしてしまうのだ。 例えば、農耕が始まってから、国家の形成までの4000年の間、いったい人類は何をしていたのかが全然解明されていない。スコットの「反穀物の人類史」でも、農耕の社会が何度もできては崩壊してきたこととか、グレーバーの「万物の黎明」でも、説明に窮して、その間遊戯的な農業が行われていたに違いない。という概念の提出にまで至っている。定住しなくても狩猟採集で豊かに暮らせたのだから、定住して農耕するメリットなど全くないのに、あえてそれを選んだ理由がみつからないことに歴史家たちは困惑してきた。「暇と退屈の倫理学」でも、狩猟採集で非定住こそ、日々新しい刺激にあふれたヒトが大好きな生活であるのに対し、農耕で定住するとヒマになってしまうことが指摘されている。が、ヒマの退屈に耐えられない人が暇つぶしにいろいろ試すと、文化ができたり専制国家ができたりするんじゃないか、という説明はこの問題に面白い視点をもたらすように思う。さらに、マルクスの疎外論では、退屈=疎外と定式化される。そうすると疎外される以前の「(暇じゃない)本来のあるべき姿」がどうしても想定される点が限界だと本書は指摘している。ほぼ同じ議論は、これまたグレーバーが「ブルシットジョブ」でしているのだが、疎外の解消ではなく、疎外を生み出す構造だけを問題とすることで、そもそも論をうまく回避していたりする。國分功一郎がグレーバーについてコメントしているならぜひ読んでみたいと思った。また、ハイデガーのこういう平明な解説はいままで見たことがないので画期的なんじゃないだろうか。全く知らない内容だったのでとてもためになった。
「暇と退屈の倫理学」は、人間が何もすることのないヒマになると、退屈に耐えらなくなって、どうしても何かしたくなる本性を持っている点に立脚している。本書の懸念は退屈して何かしたくなった時に、「これを信じておけばOK」的な安易かつ一元な価値基準を採用して、他人を見下したり、批判したり、戦争したりするような暇つぶし方が幅を利かしている現状にある。そこで、そうならないように生活や趣味のなかに、楽しみを見つける教養こそが大事だ。というのが本書の主な主張である。一元な価値基準を採用への対抗軸としては、有用というか、すごく人にやさしい議論である。しかし、気を付けなくてはならない。これはもう完全に、「庶民には日々の暮らしや学問に楽しみを見つけさせて、吾輩の支配体制に不満を持たせないようにしようぞ。わはは」、という支配階級のロジックそのものでもあるからである。人はパンのみに生きるのではなく、、、という話のあとに、薔薇を求めていい(でも銃はダメ)、という國分の超上から目線は、極めて危険な政治的立ち位置であるように思える。革命が不要な社会、ということは、革命後の社会なのであり、そこでの生活の意味を担保する記号的中心に何を持ってくるのか(天皇?)が興味深い。あと、この本を聴きながら、「ゲーテはすべてを言った」(鈴木 結生)を思いだした。この本は、ゲーテ研究科の大学教授が、レストランで見つけたゲーテの言葉「Love does not confuse everything, but mixes.」が本当にゲーテのものなのか?という謎に人生を賭して臨んでいくという話である。学者のはしくれとして、感動なしには読めない。でも、これを読んでいると、金井美恵子の「快適生活研究」も思い出さざるを得ないのである。このなかに、目白在住で「よゆう通信」という個人新聞を定期的に知人に配っているリタイアした建築家、というのが登場する(もちろん金井美恵子はこういうのを死ぬほど馬鹿にしているのだ)。ゲーテ研究家の大学教授も「よゆう通信」を発行する元建築家も、パンには困らないので、バラの美しさを楽しめる、國分功一郎が理想とする教養豊かな人たちであるように思う。「暇と退屈の倫理学」以降の展開と「よゆう通信」の関係をみてみたいので、國分功一郎の続刊を聴いてみようと思う。

2025年1月9日木曜日

「風の歌を聴け」時系列検討

村上春樹は高校3年のときに、Z会の英作文の問題に出てきた文章に興味を持ってドはまりして以降、わりとまじめに読み進めてきました。「風の歌を聴け」は大学1年の帰省時に姫路のショッピングモールのファーストフード店で読んだ記憶があります。が、ハズカシイことにこれまで「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」は読んだフリをしてました。昨年末から徒歩通勤時間にオーディブルを聴くようになり、いそいそと「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を聴き始めました。大森南朋の渋い声の朗読に浸りながら聞き進めていたのですが、徒歩通勤時間ではなかなか進みません(前後編で10時間以上かかる)。どうしても続きが知りたくなり、休日にオーディブルを聴くためだけに、吹田の家から阪急千里線、地下鉄堺筋線沿いに天下茶屋まで5時間歩くという本末転倒なことをしたりして、最後まで聞きました。勢いに乗って「羊をめぐる冒険」も改めて聴きました。

聴き終わって、高校時代の春樹青年にいったい何があったの?という感想を持ちました。むかし神戸に住んでいたころ、阪神間の街のもつ独特な雰囲気をひしひしと感じていました。また、村上春樹が通っていた神戸高校が住んでたマンションのすぐ近くにあったり、三宮や芦屋に村上春樹ゆかりの店、などがあったりしたので、この街で十代後半を過ごした春樹青年に何がが起き、それが起点となって「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」「羊をめぐる冒険」「ノルウェイの森」の物語世界へと展開したのか、関心を持ちました。

また、斎藤美奈子が「文壇アイドル論」でも指摘しているように、村上春樹の作品が持つ謎解きゲームの要素が、「羊をめぐる冒険」「ノルウェイの森」「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」で、たしかに一気に拡張しているなぁと感じました。起点となった初期設定からだいぶいじくりまわされている感じです。

そうなると、デビュー作の「風の歌を聴け」ってどんな話だったっけ?ということになります。起点となった何かが最も初期設定に近い形で残っている可能性があります。が、素直に書いてあるはずはなく、「風の歌を聴け」もあからさまに謎が隠された名作ゲームとして知られています。すでに、非常に多くの攻略ガイドが、本でもオンラインでも大量に出ています。そのなかでも、「妊娠小説」で斎藤美奈子が指摘し、「謎とき 村上春樹」でも石原千秋が支持を表明した「左手が4本指の女の子の元カレは鼠説」が本当なのかが気になります。斎藤美奈子は、「風の歌を聴け」を構成する40の短い断片を、時系列に沿って並べなおし「ジョンFケネディー」というキーワードから、左手が4本指の女の子と鼠の隠された関係を抽出しましたが、並べなおした結果は示してないんですよね。

「風の歌を聴け」は、断章2に「この話は1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終わる。」とのべています。一方、加藤典洋は、「村上春樹の世界」でどう頑張っても18日には収まらないことを示し、そこから鼠幽霊説を唱えていますが、本当そうなんでしょうか?

そこで、断片を時系列に沿って並べなおすと何が見えるのかを試してみました(あくまでも私見です)。

まず、カレンダーを見ますと、

・1970年の8月8日は土曜日。

です。ちなみにこの時期は大阪万博が開催中なんですが、一切言及はありません。

また、

・ポップス・テレフォン・リクエストは土曜日の午後7時から始まる(断章37)。

ので、

・「風の歌を聴け」の中で、1970年8月8日は、午後7時の「ポップス・テレフォン・リクエスト」から始まることになります。そのあと、僕のところに7時15分に「ポップス・テレフォン・リクエスト」から電話がかかってくる。そのあとリクエストされた「カリフォルニア・ガール」がかかるはずです。つまり、「カリフォルニア・ガール」がこの物語のオープニングソングになっています。

それから、

・左手が4本指の女の子が旅に出ていた期間を1週間確保(断章22「明日から旅行するの。1週間ほどね」)

・僕が「ジェイズ・バー」に行っていなかった期間を1週間確保(断章18「一週間もこないのは体の具合が悪いんじゃないかって」)

・ただし断章29「一週間ばかり鼠の調子はひどく悪かった。」については、その前1週間くらいの期間として、インターバルを確保せず。

とすることで、

・1970年8月のイベントの内、「ポップス・テレフォン・リクエスト」以外は断章の順番通りで収まる。

ことがわかりました。一方、

・断章37で「ポップス・テレフォン・リクエスト」のDJがリスナーに対して「僕は・君たちが・好きだ。」という本作で最も素直な言葉を発しています。これは、8/15か、8/22のオンエアのはずですが、どうしても、その前後の断章36と断章38と時系列的につながりません。

・一方、左手が4本指の女の子は、8/11か12の断章15の「前にも言ったと思うけどあなたって最低よ」という態度だったのが、8/18ころの断章18で僕を誘いに電話をかけてくるまでの間に、急に機嫌を直しています。そのきっかけは不明のままですが、もし、例の「僕は・君たちが・好きだ」が8/15(土)のオンエアで、それを左手が4本指の女の子が聞いたことだったとしたら素敵かもしれないですね。

・「風の歌を聴け」の難所としてよく知られているのが断章6です。ここだけ、僕の一人称ではなく、「鼠が書いたと考えられる小説の断片」となっていて、他から浮いているのです。断章6の最後に「ジョンFケネディー」というキーワードが出てくるのだから、重要に違いなく、次に「ジョンFケネディー」という単語が出てくるのが、僕と「左手が4本指の女の子」との会話の中であることが、斎藤美奈子の「鼠元カレ説」の根拠となっています。今回、時系列順に並べてみると、これは、「左手が4本指の女の子」が受け取った葉書に書かれた内容なのかもしれません。そうすると、いろいろと矛盾するんですが、、。あるいは、後日鼠から送られてきた原稿からの抜粋なのかもしれません。

・「鼠元カレ説」は成り立ちそうだが、よく指摘される断章18の左手が4本指の女の子が鼠に会って言ったセリフ「ジェイズ・バーで訊ねてみたの。店の人があなたのお友達に訊ねてくれたわ。背の高いちょっと変った人よ。モリエールを読んでたわ。」の違和感はぬぐえず微妙。また、「鼠元カレ説」がそもそもこの話の最大の秘密であったとして、その意味を考えるのではなくて、その機能を考えることのほうがおもしろいかも。

・全体を並べてみると、わかりやすくなるのですが、もし「風の歌を聴け」の通りだったとすると、もともと主人公には、無口な人格と饒舌な人格が併存していたのですが、神戸高校在学時の17歳ころの春樹青年に「心に思うことの半分しか口に出すまいと決心した。」何かのきっかけがあり、2つの人格がはっきり分離して無口なほうが僕、饒舌なほうが鼠となったように見えます。そのきっかけは謎のままです。

・また、1969年の夏に僕は小説を書く衝動に追い回され、同じころ鼠は本を読むのを止めるという対照的な行動をとります。

・作者があちこちで強調する、語ることができないが語らなくてはならない残りの半分、あるいは、語ることによって隠しておきたかった事とは、もちろん、鼠としての僕と「3番目の女の子」との間で起きた決定的な経験であり、「風の歌を聴け」とは僕が、鼠と「左手が4本指の女の子」の間に立つことで、ああすればよかった、こういう意味だったのかも、などど反省会を行うことで、乗り越えるきっかけを作るお話となるんでしょうか。

・これもよく指摘されることですが、「風の歌を聴け」ってお盆の話なんですよね。となると、「左手が4本指の女の子」は黄泉の国から帰ってきた「3番目の女の子」ってことになるんでしょうか。


「風の歌を聴け」時系列検討(私見ですので、勘違い、誤字脱字などなどご笑覧ください

書き出し年月日年齢コメント要約鍵となる記述年代推定情報
26僕が三番目に寝た女の子について話す。1963年8月14歳3番目の女の子の14歳の時の写真の話。天の啓示なぜ彼女が死んだのかは誰にもわからない。彼女自身にわかっていたのかどうかさえ怪しいものだ、と僕は思う。僕は彼女の写真を1枚だけ持っている。それは1963年8月となっている。ケネディー大統領が頭を撃ち抜かれた年だ。
7小さい頃、僕はひどく無口な少年だった。1963年の7月13-14歳僕と鼠の人格分離無口だった僕が、精神科医に通って急に話すようになった話 表現し、伝達することがなくなった時、文明は終わる、パチンOFF7月の半ばにしゃべり終えると40度の熱を出して三日間学校を休んだ
121965年16歳クラスの女の子からビーチボーイズのLPを貸してもらうそういえば5年前にクラスの女の子にそんなレコードを借りたことがあるな
30かつて誰もがクールに生きたいと考える時代があった。1966年ころ17歳僕と鼠の人格分離思うことの半分しか口に出すまいと決心した 半分しか語れていないことの警告が行われる。そしてある日、僕は自分が思っていることの半分しか語ることのできない人間になっていることを発見した。高校の終わりころ僕は心に思うことの半分しか口に出すまいと決心した。理由は忘れたが、その思い付きを何年かにわたって僕は実行した。
191966-1967 夏ころ17-18歳一人目の女の子と付き合って別れる。一人目は17歳、高校を卒業してすぐわかれる(1966-1967 夏ころ)。
4僕が鼠と出会ったの3年前の春のことだった。1967年の春18歳浪人中鼠とのなれそめ、フィアット500で事故、車の上でタバコを吸う。
25鼠の好物は焼き立てのホットケーキである。1967年の5月18歳出会ってから5月に神戸にいたのは1967のみ過去の回想?僕が鼠の家を初めて訪れたときの話彼は5月のやわらかな日差しの下にテーブルを持ち出して、
28街について話す。1968年4/119歳町を離れた芦屋について、鼠の父親が裕福になった経緯。バス運転手の息子と友達になった話。この街を離れた時、心の底からホッとした。
191968年10月21日19歳二人目の女の子との出会い二人目は新宿駅であったヒッピーの女の子 新宿騒乱は、1968年(昭和43年)10月21日に
51969 夏ころこのころ鼠は最後の読書鼠「この前最後に本を読んだのは去年の夏だったよ」
23僕が三番目に寝た女の子は、僕のペニスのことを「あなたのレーゾン・デートゥル」と呼んだ。☆僕は以前、人間の存在理由をテーマにした短かい小説を書こうとしたことがある。1969 夏ころ21歳このころ僕は人間の存在理由をテーマにした短い小説を書こうとして記録をする衝動に駆られる。約8か月間、僕はその衝動に追い回された。当時の記録によれば、1969年の8月15日から翌年の4月3日までの間に、僕は358回の講義に出席し、54回のセックスを行い、6921本の煙草を吸ったことになる。そんなわけで、彼女の死を知らされた時、僕は6922本めの煙草を吸っていた。
19話せば長いことだが、僕は21歳になる。1969年8月15日21歳1970年8月に21歳とすると順調にいけば大学4回生のハズ。浪人をしている模様。三人目女のことを出会った日三人目の相手は大学の図書館で(1969年の8月15日)知り合った仏文科の女子大生だったが、彼女は翌年1970の春休みにテニス・コートの脇にあるみすぼらしい雑木林の中で首を吊って死んだ。
34僕は時折嘘をつく。1969年の秋21歳鼠ではなく、僕が答えたことを非難しているのではないか?彼女から「嘘つき!」と言われた経緯が語られる。子供は何人ほしい?から妊娠説がある。一つ着いた嘘とは何かが論争となっている。「ねえ、私を愛してる?」
「もちろん。」
「結婚したい?」
「今、すぐに?」
「いつか…..もっと先によ。」
「もちろん結婚したい。」
「でも私が訊ねるまでそんなこと一言だって言わなかったわ。」
「言い忘れてたんだ。」
…子供は何人欲しい?
「3人」
「男?女?」
「女が2人に男が1人」

彼女はコーヒーで口の中のパンを嚥み下してからじっと僕の顔を見た。

「嘘つき!」

と彼女は言った。

しかし彼女は間違っている。僕はひとつしか嘘をつかなかった。
最後に嘘をついたのは去年のことだ。去年の秋、僕と僕のガールフレンドは裸でベットの中に潜り込んでいた。
191970年3月21日ころ21歳春休み中、見つかった2週間前3人目の彼女の自殺彼女は翌年1970の春休みにテニス・コートの脇にあるみすぼらしい雑木林の中で首を吊って死んだ。 彼女の死体は新学期が始まるまで誰にも気づかれず、まるまる二週間風に吹かれてぶら下がっていた
23僕が三番目に寝た女の子は、僕のペニスのことを「あなたのレーゾン・デートゥル」と呼んだ。☆僕は以前、人間の存在理由をテーマにした短かい小説を書こうとしたことがある。1970年4月4日21歳新学期が始まっている。3人目の彼女の自殺を知らされる約8か月間、僕はその衝動に追い回された。当時の記録によれば、1969年の8月15日から翌年の4月3日までの間に、僕は358回の講義に出席し、54回のセックスを行い、6921本の煙草を吸ったことになる。そんなわけで、彼女の死を知らされた時、僕は6922本めの煙草を吸っていた。
21三人目のガールフレンドが死んだ半月後、僕はミシュレの「魔女(実在の本)」を読んでいた。1970年4月4日ころ21歳死んだ日から推定私の正義はあまりにあまねきため三人目のガールフレンドが死んだ半月後、
2この話は1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終わる。
11ON やあこんにちは元気かい?1970年 8/8 19:0021歳1970年のカレンダーよりポップステレフォンリクエスト 37土曜の夜ON, OFF ねえ野球はどうなっている?
127時15分に電話のベルが鳴った1970年 8/8 19:1521歳「ポップステレフォンリクエスト」から19時15分に電話「カリフォルニアガールズ」のリクエストがあった。もし当たれば君に特製のTシャツが送られることになっているんだそういえば5年前にクラスの女の子にそんなレコードを借りたことがあるな
13「カリフォルニアガールズ」1970年 8/8 19:1521歳歌詞のみ この時間にラジオに流れた。素敵な女の子がみんなカリフォルニアガールズならね。
3金持ちなんで・みんな・糞くらえさ1970年 8/8 20:00以降??? 21歳18日間に詰め込むとしたらここ。あるいはそれ以前の回想か?ジェイズバーで鼠が金持ちを批判する。でも結局みんな死ぬ
5鼠は恐ろしく本を読まない1970年 8/8 20:00以降??? あるいはそれ以前の回想21歳18日間に詰め込むとしたらここ。あるいはそれ以前の回想か?鼠が各小説船が沈没女が泳ぐ、鼠が浮かぶ両方とも救助される、再会後ビールを飲む鼠「この前最後に本を読んだのは去年の夏だったよ」
6鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンの無いことと、それから一人も人が死なないことだ。放って置いても人は死ぬし、女と寝る。1970年 8/8に話していた話のその後。21歳挿入位置と時系列的に、左手が4本指の女が受け取った葉書の内容ではないか?(5)の小説で、鼠とその女が再会後ビールを飲んでいる内容の小説の断片ねえ、人間は生まれつき不公平に作られている。誰の言葉?ジョンFケネディー鼠3年ぶりに無性にタバコが吸いたくなった。
91970年 8/9夜21歳(8)の前日の夜左手が4本指の女はこの日に葉書を受け取り、ジェイズバーで飲みつぶれる。僕はジェイズバーで左手が4本指の女に出会って家まで連れて行き、一泊
8喉の渇きのためだろう、僕が目覚めたのは朝の6時前だった1970年 8/10 6:0021歳8/11もあり得る。左手が4本指の女の家で目覚める。第一に女の名前を僕が知っていたのかどうかさえ思い出せない
9彼女が目覚めるまでに、それからざっと3時間ばかりかかった。1970年 8/10 9:0021歳左手が4本指の女に昨夜の出来事を説明する。でもね、電話に出たのは女だった。奴はそういったタイプじゃなかった。葉書が1枚出てきた。昨日どんな話をしたの?ジョンFケネディー(前日の夜)僕は午後じゅうプールで泳いで、家に帰って昼寝をしてから食事を済ませた。8時過ぎたね。それから車に乗って散歩に出かけたんだ。
10ひどく暑い夜だった。半熟卵ができるほどの暑さだ。1970年 8/10 夜21歳ジェイズバーで鼠と待ち合わせるが来ない。電話を掛ける女が出ている。みんなの楽しい合言葉 MIC KEY MOUSEビールを飲みながら野球中継をながめることとした。暗い夜の海を眺めながらなんとか曲名を思い出そうとしていた。
14Tシャツは3日目の午後に郵便で送られてきた1970年 8/10or 11 午後21歳8/8の3日後なら11日、全体の3日目なら10日
15翌日の朝、僕は真新しいチクチクするTシャツを着てしばらく港の辺りをあてもなく散歩してから、目についた小さなレコード店のドアを開けた。1970年 8/11 or 12 午前21歳(14)の翌日左手が4本指の女が働くレコード店に行く。3枚のレコードを買う。グールドのベートーベンP'コン、ビーチボーイズ、マイルスデービス前にも言ったと思うけどあなたって最低よ
16僕がジェイズバーに入った時、鼠はカウンターに肘をついて顔をしかめながら電話帳ほどもあるヘンリージェームスの恐ろしく長い小説を読んでいた。1970年 8/11 or 12 夜21歳鼠の誕生日は9月鼠にグールドのベートーベンP'コンを誕生日プレゼントとして渡す。でもね、ずいぶん本を読んだよ、この間あんたと話してからさ。(5)のことだろう誕生日プレゼントさ、でも来月だぜ
17三日間僕は彼女の電話番号を探し続けた。僕にビーチボーイズのLPを課してくれた女の子だ1970年 8月9, 10, 11か?21歳13,14,15はお盆休みではないだろうか?一日目高校に行く、2日目電話する。3日目短大に行く。今年の3月に退学届けを出したと教えてくれた。理由は病気の療養です。彼女は春に部屋を出たっきり行き先を知らない。
37やあ元気かい_こちらはラジオNEB ポップステレフォンリクエスト。1970年 8/15(土曜)19:0021歳他の土曜日8/22, 29だった可能性もあり。この日だと、左手が4本指の女も聴いていた可能性あり私は3年間入院中の17歳の女の子の手紙が紹介される。お姉さんは彼女を看病するために大学を辞めた。DJは、僕は・君たちが・好きだ。という。また土曜の夜がやってきた。
181970年 8/1721歳(18)の前日以前、左手が4本指の女がジェイズ・バーに行く。おそらく鼠から僕の電話番号を教わる。
18電話のベルが鳴った。1970年 8/1821歳(22)の前日、(16)の1週間後左手が4本指の女から電話、8時にジェイズ・バーで会う約束をする。ジェイズ・バーで訊ねてみたの。店の人があなたのお友達に訊ねてくれたわ。背の高いちょっと変ったよ人。モリエールを読んでたわ。一週間もこないのは体の具合が悪いんじゃないかって 
20彼女はジェイズ・バーのカウンターに居心地悪そうに腰掛け、1970年 8/18 20:0021歳左手が4本指の女とジェイズ・バーで身の上話匂いよ。金持ちが金持ちをかぎ分けられるように、貧乏な人間は貧乏な人間をかぎ分けることができるのよ
22電話のベルが鳴った。1970年 8/18 夜21歳(33)の一週間前ビーフシチューを食べに左手が4本指の女の家に行く。帰り道初めてデートをした女の子のことを思い出す。エルビスプレスリーの映画の主題歌。宛先不明。受取人不明。何故いつも尋ねられるまで何も言わないの?さあね。癖なんだよ。いつも肝心なことだけ言い忘れる。昨日は楽しかったわ、久しぶりにね。明日から旅行するの。1週間ほどね
24その夜、鼠は一滴もビールを飲まなかった。これは決して良い兆候ではない1970年 8/18 夜?21歳8/19に入院する左手が4本指の女を捕まえるには、この日に依頼しないと間に合わない。ジェイズバーで鼠が僕に女に会うことを依頼する人に会ってほしいんだ明日の2時
27僕は嫌な夢を見ていた。1970年 8/19 朝から14:0021歳おそらく、手術をやめるよう説得するのを止めた。悪夢を見る。兄の彼女のことを考える。ネクタイを締めて、出かける。2時にジェイズバーの前に車を付けたが、鼠に止めたよと言われる。そのあと動物園に行く。僕たち兄弟はよく似ていると彼女は言う二年前兄は、、、アメリカに行ってしまった。
21歳
37やあ元気かい_こちらはラジオNEB ポップステレフォンリクエスト。1970年 8/22(土曜)19:0021歳他の土曜日8/15, 29だった可能性もあり。お姉さんは5年前にビーチボーイズのLPを貸してくれたクラスの女の子私は3年間入院中の17歳の女の子の手紙が紹介される。お姉さんは彼女を看病するために大学を辞めた。DJは、僕は・君たちが・好きだ。という。また土曜の夜がやってきた。
29一週間ばかり鼠の調子はひどく悪かった。1970年 8/2321歳(31)の前日ではないといけない。一番遅い可能日ジェイズバのマスターから僕に、鼠の相談事を聞き出すよう促される。しづらいのさ。馬鹿にされたような気がしてね。そしてうんざりした気分でもう一本ビールを飲んだ
31翌日僕は鼠を誘って山の手にあるほてるのプールに出かけた1970年 8/2421歳(33)よりも前の日ではないといけない。一番遅い可能日山の手のプールに鼠と出かける。鼠から、自分が金持ちであることから逃げたくなること、大学を辞めたこと、小説を書き始めたこと、蝉のために書き始めたことを聴く。その後女の子のことを聴く。世の中にはどうしようもないこともあるんだと虫歯の例えを聴く。強い人間なんでいやしない。強いふりをできる人間がいるだけさ。あんたは本当にそう信じている?どんな人間でもいつかは死ぬ。そういうことさ。夕方になって日が陰り始める頃、僕たちはプールから出て、、冷たいビールを飲んだ
33電話のベルが鳴った。1970年 8/2521歳8/26以前だとこの日が一番遅い可能日左手が4本指の女から電話,YMCAに5時に会う。旅行は嘘だったことを告げられる。
35僕たちは港の近くにある小さなレストランに入り、簡単な食事を済ませてからブラディー・マリーとバーボンを注文した。1970年 8/2521歳左手が4本指の女の子から、本当のことを聴きたいか聞かれるが、話をはぐらかす。人が死ぬのはなぜか聞かれ、宇宙の進化の一部と答える。店を出て歩きながらお互いの誕生日を教えあう。人気のない突堤で腰を下ろし、彼女はみんな大嫌いよと言って泣く。僕は12月24日生まれ、左手が4本指の女は1月10日生まれ。
3610分かけて彼女のアパートまで歩いた。1970年 8/2521歳彼女のアパートまで歩いていき、朝まで一緒にいてほしいと誘われる。セックスしたいか聞かれたり、堕胎したことを伝えられる。また、相手の男の顔を思い出せないという。抱き合った彼女は最後「お母さん」とつぶやいて眠る。手術したばかりなのよ、子供?そう。
38東京に帰る日の夕方、僕はスーツケースを抱えたまま「ジェイズ・バー」に顔を出した。1970年 8/2621歳この日付は確定「ジェイズ・バー」に別れを告げに行き、夜行バスで東京に帰る。あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれをとらえることはできない。8月26日という店のカレンダーの下にはこんな格言がかかれていた。
1完璧な文章は存在しない1978年29歳1963年の15年後なぜ書くのかの説明 29歳の誕生日を迎えて書き始めた。物差しで測り始めたのはケネディー大統領の死んだ(1963年11月22日金曜日)15年前 20代最後の年を迎えた
32デレク・ハートフィールドはその膨大な作品の量にもかかわらず、人生や夢や愛について直接語ることのできる極めてまれな作家であった。1978年29歳火星で緯度に落ち、15億年タイムスリップする話。若者は最後自殺する。
39これで僕の話は終わるのだが、もちろん後日談はある。1978年 9月から12月の間29歳僕は結婚して東京に住んでいる。鼠は小説を書き続け毎年クリスマスに送ってくる。左手が4本指の女の子とは2度と会えなかった。カリフォルニア・ガールズのレコードはまだ僕のレコード棚の片隅にある。僕は29歳(12月生まれ)になり、鼠は30歳(9月生まれ)になった。
40最後にもう一度デレク・ハートフィールドについて語ろう。1978年29歳デレク・ハートフィールドの人生が短く語られる。昼の光に夜の闇の深さがわかるものか
あとがきにかえてもしデレク・ハートフィールドという作家に出会わなければ小説なんて書かなかったろう、とまで言うつもりはない。1979年5月30歳デレク・ハートフィールドの墓参りの経緯が語られる。この小説はそういった場所から始まった。そしてどこにたどり着いたのかは僕にもわからない。1979年5月