2016年8月29日月曜日

天然同位体の影響をマススペクトルから除去する方法

13C標識炭素源を活用した代謝の解析が活発化しています。細胞内の代謝の流れに関する知見が得られる点がうれしいのです。しかしなから実験結果から正しい知見を得るにはいくつかのクリアすべきハードルがあります。詳細は下記の論文をご覧ください。

Buescher  et al. A roadmap for interpreting 13C metabolite labeling patterns from cells. Curr Opin Biotechnol. 2015 Aug;34:189-201. doi: 10.1016/j.copbio.2015.02.003. 
PMID 25731751


まず、下記の2点を確認する必要があります。

  1. 代謝定常が仮定できること。13C標識炭素源を添加後、代謝物を抽出するまでの間に代謝フラックスが変化しないと想定できること。培養細胞の場合細胞が対数増殖している間は、偽定常とみなすことができます。また、組織だと代謝の変化が非常にゆっくりであり、13C標識炭素源を添加後、代謝物を抽出するまでの時間の変化は事実上無視できる場合も偽定常とみなすことができます。一方、薬剤やホルモン処理等によって起きる数分レベルでの代謝の変化を捉えることは困難です。
  2. 同位体定常に到達していること。13C標識炭素源を添加後、細胞内代謝経路中の13C標識割合が経時的な増加期間を終えて、定常に到達していること。これは、実際に実験をして、13C標識割合の経時変化を調べて確認するしかありません。


次に、測定した各代謝物の13C標識割合(Mass disctribution vector, MDVというとかっこいいとされる)から天然同位体の影響を除去する補正をかける必要があります。

1.例えば例として、細胞内のPhosphoenolpyruvate (PEP) のプロトン脱離分子[M-H]-のMDVを実測したところ下記のようになったとしましょう。

m+0  0.5746
m+1  0.1172
m+2  0.1074
m+3  0.2006

総和が1.000になるようにしましょう。正確にはm+4, m+5も考慮したほうがいいのですが、対処法は後述します。

2.PEPのプロトン脱離分子[M-H]-の組成式はC3H5O6P-H = C3H4O6P です。Isotope Distribution Calculator and Mass Spec PlotterでC3H4O6P, C2H4O6P, C1H4O6P, H4O6P(炭素がひとつづつ減少)の天然同位体パターンを取得します (Calculation method: Low resolution, Minimum abundance: 0.01%)。

C3H4O6P
167 100
168 3.55
169 1.25
170 0.04
171 0.01

C2H4O6P
155 100
156 2.47
157 1.22
158 0.03
159 0.01

C1H4O6P
143 100
144 1.39
145 1.2
146 0.01
147 0.01

H4O6P
131 100
132 0.3
133 1.2
135 0.01

3.これらのデータをエクセルを用いて下記のような表にします。




4.次に、各組成式ごとに強度値の和が1になるように補正します。各組成式ごとに強度値の和を計算し、それで割ればOKです。
空欄は0にします。




5.炭素数+1=4なので4×4の正方行列を切り出します。




6.逆行列(n次元)ウェブページ(カシオ計算機株式会社提供)逆行列を計算します。
行列Aに上記の正方行列をコピペし、「計算」をクリックすると逆行列A-1が計算される優れものです。





7.得られた逆行列をエクセルにコピペします。


8.逆行列と補正前のMDVから補正後MDVを計算します。

補正後MDV = 逆行列・補正前MDV

という行列計算です。


この時、B8セルは
=B2*B$7
という式で計算しています。E11までのセルはこれのコピペです。
A8セルには
=SUM(B8:E8)
という式で和を求めています。A11までのセルはこれのコピペです。

A列に補正後のMDVが計算できます。


9.しかし、m+4, m+5も考慮したほうがいいところをm+3までで計算したので、総和が1.000になっていません。そこで、補正後MDVが総和が1.000になるようにさらに補正します。



以上で補正前のMDVから
m+0  0.5746
m+1  0.1172
m+2  0.1074
m+3  0.2006

天然同位体の影響を除去した補正後のMDVを計算できました。
m+0  0.600
m+1  0.100
m+2  0.100
m+3  0.200


10.論文ではMDVから天然同位体の影響をFernandez et al. (1996). J Mass Spectrometry. 31:255-262に従って補正したと書くとよいです。

11.無保証、自己責任でご利用お願いします。