2014年12月1日月曜日

雑誌会11/28

今週の雑誌会の一人目登板はM1松迫君で、Chen et al. Butanol tolerance regulated by a two-component response regulator Slr1037 in photosynthetic Synechocystis sp. PCC 6803. Biotechnology for Biofuels 2014, 7:89 でした。1-ブタノール、イソブタノールは炭素数が4つのアルコールで、エタノールよりも高熱量なバイオ燃料として、また、バイオポリマーの原料としての利用が期待されています。一方、大腸菌やシアノバクテリアなどの扱いやすい宿主微生物はブタノールを合成する遺伝子をもっていません。そこで、クロストリジウム属の微生物などから生合成遺伝子を移植して、ブタノール生産可能な微生物の育種が盛んに行われています。一方、高濃度のブタノールは微生物にとって毒でもあることから、宿主微生物をブタノールに強くするように鍛える、耐性を持たせる方法の研究も並行して行われています。この論文はSynechocystis PCC6803というシアノバクテリアがもつTwo-component signal transduction systemに着目し、ヒスチジンキナーゼをコードするslr1037遺伝子の破壊株がブタノールに対して「弱く」なる事を示しています。さらに、変異株のプロテオーム解析からどのようなタンパク質の含量が変化したのかを解析し、中心代謝、シグマ因子、窒素同化、アミノ酸輸送をになうタンパク質含量に変化があったこと示しました。耐性という性質は普通、多数の遺伝的要因が関与する量的形質です。また、シグナル伝達系はどうやらかなり「混線」しているようだというのは多くの研究が示唆するところです。slr1037欠損変異株の変化を一網打尽にできる点はすごいですが、国語入試問題必勝法的に要約すると「色々あった」うち、なにがブタノール耐性にもっとも寄与してるのか調べるのは大変そうでもあります。
二人目はM1の大橋君の発表で Wu et al. Metabolic engineering of Escherichia coli for efficient free fatty acid production from glycerol Metabolic Engineering 2014, 25:82-91 です。脂肪酸を高生産する大腸菌を構築するにあたって4つの遺伝子破壊がどのくらい効果があったのかを実際に実験で実証して見せています。代謝シミュレーションの結果との比較は行われていませんが、実際のところどうなのか気になるところです。
二人とも発表上手でした。

2014年11月20日木曜日

シンポジウム 中心代謝のフラックスレベルでの理解に向けて

 日本生物工学会代謝工学研究部会では2014年度の活動の一環として、第3回シンポジウムを開催します。近年、微生物、動物培養細胞の中心炭素代謝機能の理解にむけた代謝フラックスの解析が注目されています。中心炭素代謝制御研究の現状や、13C同位体標識化合物の取り込み実験データに基づく代謝フラックス解析法の基礎、これまでの代謝分析法との違い、また実際の解析例の紹介を行います。ふるってご参加いただきますようよろしくお願い申し上げます。

日時: 2015年1月20日(火) 13:30~17:00

場所: 大阪大学吹田キャンパス 情報科学研究科B棟1 階 B101

【講演内容】

あいさつ………清水 浩(大阪大学大学院情報科学研究科)

「代謝工学を目的としたラン藻の炭素代謝改変法について」
  ……小山内 崇(理化学研究所環境資源科学研究センター)

「中心代謝フラックス解析法の基礎」
  ……清水 浩(大阪大学大学院情報科学研究科)

「トレーサー実験と13C代謝フラックス解析の違い」
  ……松田 史生(大阪大学大学院情報科学研究科)

「代謝フラックス解析の実際<物質生産微生物、光合成微生物、培養細胞>」
  ……戸谷 吉博 (大阪大学大学院情報科学研究科)

詳しくは清水研のHPをごらんください。
http://www-shimizu.ist.osaka-u.ac.jp/hp/me/

2014年11月14日金曜日

雑誌会11/14

 清水研の金曜午前中は雑誌会です。論文内容を紹介する20分のプレゼンのあと、30分間のディスカッションです。毎回2名ずつ担当します。
 今日一人目は西野君(M1)の、Yugi et al. Reconstruction of insulin signal flow from phosphoproteome and metabolome data. Cell Rep. 2014 Aug 21;8(4):1171-83. の紹介でした。
 近年の網羅的解析手法(オミクス解析)の発展により、生体内の代謝物量、タンパク質量、遺伝子発現量などを一斉解析できるようになってきました。実際の解析から得られた大量のデータをごりごりと解析し、そこから新たなシグナル伝達経路や、代謝制御メカニズム、遺伝子の新規機能の発見が期待されています。こういう研究スタイルは10年くらい前はデータ駆動型のシステム生物学などと呼ばれていましたが、最近は複数のオミクスデータを組み合わせる事でトランスオミクス (trans-omics) というのだそうです。
 筆者らは動物培養細胞にインシュリンを投与したときの素早い (60分以内) 代謝変動に着目し、経時的なメタボロームおよびリン酸化プロテオームデータを取得、統合した解析を行いました(この辺がトランスオミクス)。そこからデータベースとの比較からホスホフルクトキナーゼという酵素が、インシュリン投与時特異的にリン酸化されることを見出し、さらには、それがインシュリン受容リン酸化シグナルリレーにつながるとデータベースが予測することを示しました。また、リン酸化によりホスホフルクトキナーゼが活性化する可能性がある事をとても簡潔に実験的に示しました。大量データから単一のリン酸化制御へとナロウダウンする手振りは大変鮮やかである。といえましょう。またその集大成としてこれらの結果をまとめたムービーが作成されております。膨大なトランスオミクスデータから単一の関係にフォーカスされている様子は圧巻であります。オミクス研究では境界的な知識の共有のためWikipediaベースのサイエンスコミュニティーが大活躍することが期待されていますが、トランスオミクス時代において今後発展するであろう動画ベースのサイエンスコミュニティーのさきがけとしてこの動画が指し示している事、いない事の解読および、吟味が求められているかもしれません。
 また、さらには生体の振る舞いの全体像を数理モデルとして記述することを目指すモデル駆動型のシステム生物学というアプローチもあります。本研究でもF1,6BPという代謝物の含量の変化に着目し、膨大なデータをもとにその変動を説明する数理モデルのパラメーター推定に成功しています。このようなモデルは生命現象の本質を簡潔に説明するツールになり得る点ですばらしい成果であるといえます。モデル駆動型の研究の要点は、モデルの振る舞いが実データに「本質的に」似ている事、さらには、推定されたモデルのパラメーターあるいは振る舞いから、理解したい現象の「本質」に近づきうる点です。そのような点について明快に考えさせてくれるという意味でも非常に興味深い研究です。
 二人目は岡橋君(D1)の Castellana et al.Enzyme clustering accelerates processing of intermediates through metabolic channeling. Nature Biotechnology 32(2014), 1011-1018 の紹介です。酵素タンパク質をつなぐと反応効率が良くなるといわれています。この研究では酵素のクラスター化が実際に効果があることを数理モデルで示し、さらに実験的データの説明にも成功している、ようです。質疑応答ではこの数理モデル化がホントに妥当なの?という点を中心に議論が進みました。われわれは酵素が細胞質に単独で浮かんでいるというナイーブな見方をしていますが、一方では酵素が機能単位でメタボロンという複合体を作っているのではないかとの見方もあります。例えば出芽酵母は芳香族アミノ酸の連続5反応分の酵素が1つにつながったARO1pという酵素を持っています。数理モデルに基づく解析からこれらの存在の是非と、意味について新たな知見が得られていくことが期待されます。二人とも発表上手でした。


2014年11月12日水曜日

徒然草解説

 松田さんてあの徒然草の方ですか?という質問をごくまれに受ける事があります。そうなんです。高校生の頃なにを思ったか、徒然草を全文入力し、当時購読していたX68000向けのディスクマガジン「電脳倶楽部」(満開製作所)にPublic domain dataとして投稿、掲載されたのでした。現在でも入力したデータをご利用いただけており、とてもうれしく思っております。
 23年前の掲載時に作成した「解説」のテキストデータは既に紛失しておりましたが、このたび京都大学の江口さまのページを発見(感謝申し上げます)し、それをもとに再掲載いたしました。ご笑覧いただけると幸いです。

解説 徒然草について


「別にPDDに受験生(特に理系)の人に「宇宙人語だあ!」と定評のある古文があってもいいじゃないか」と言う訳で打ち込んだ(打ち込んでいる)のがこの徒然草です。注釈はありません。ぜひぜひ原文のまま古文の知識を総動員してお読み下さい。わかんなかったら本屋で注釈本を買ってくるのをおススメします。

成立時期・文体について


徒然草は鎌倉末期(1331年)頃に書かれた随筆です。上下合わせて二百四十三段+序の二百五十五の文に兼好自身の人生観や説話・自然観などが書かれています。全文に見られる無常感はすばらしいとされ、650年も前の文章の言わんとしていることに現代にいる私たちが教えられることが多いのは驚きです。文章そのものもいわゆる名文で特に会話の面白さと自然の描写の鋭さとそれを曖昧にしている言い回しは難解ですが本当に素晴らしいと思います。

吉田兼好について


作者は吉田兼好(1283?~1350?)。京都吉田神社の神官の家系に生れ、北面の武士として、朝廷に出仕し、人並に出世もし、恋もしたようです。三十才ごろに出家し、隠者となりますが、歌人・知識人として、貴族との交流をつづけたようです。徒然草の書かれたころはまさに太平記の時代で不安定なころ。兼好自身も京都にいたからなおさらでしょう。これらの不安定な状況と人の心とがこの作品に大きな影響を及ぼしているのは文章からも明らかです。

写本について


徒然草は原本が失われており、現在流布しているのは全て写本です。また現代のように「文章」といった概念の薄い時代に書かれたものですから、後世の人が段落とか訓点、漢字、その他などを補ってあります。そうでないと漢文の白文みたいな物で人間の読めるシロモノではないであろうと推測できます。昭和初期までは烏丸光広本が有名でした。烏丸光広本とは、江戸初期の儒学者である三宅亡羊が書き写した「徒然草」を時の権中納言、烏丸光広が校訂したもので、慶長十八年(1613)に活字出版されました。長い間この本が主流であったようですが、昭和の初期になって正徹本(永享三年(1431)に東福寺の僧、正徹が写本した。現存最古)と常縁本(正徹の弟子、東常縁が写本した)が発見されました。しかしこれらは烏丸光広本とかなり異なった本文を持っており(つまり、写本がくりかえされているという事)、今回打ち込むにあたり、どちらを打ち込むか迷いました。結局「読みやすい」と僕が思ったので、烏丸光広本系の本を元本として選びました。また気になる著作権は本文については存在しないと思います(あったらこわい)。詳しいところはよく判りませんが。

現在本屋で売ってる「徒然草」いろいろ


元本として、どの本を選ぶかけっこう迷いました。いろいろ迷ったあげく、
某問題集の「徒然草」(論外。すべての段が網羅されておらず、本文の出所も不明。正徹本によく似ている。ただ一番手に入れ易い。対訳が親切。僕も始めはこれを元本としていた。今となっては後悔している。とても)
(新)日本古典文学大系(図書館に行くとある。高い)
角川文庫「改訂徒然草訳注今泉忠良」(最後の改訂が昭和32年というシロモノ。旧漢字が連発され、読みにくさNo.1。烏丸光広本が底本。しかし正徹本により改訂がされており、僕が打ち込んだのとは少し異なる本文を持つ。全段に訳があり便利、改訂が待たれる。500円)
岩波文庫「新訂徒然草校注西尾実・安良岡康作」(改訂が一番新しい。最も読み易い。注釈がとても親切。特に固有名詞はほぼ完璧。底本が「徒然草文段抄」で烏丸光広本で改訂されたという、外にはあまり見られないこだわりがあってよい。普通では烏丸光広本が底本となってそれよりも古い本で改訂していくみたいである。460円)
の四冊が候補となったが、僕の好みで4.を元本とした。ちなみに1.は友人の兄の物であって僕の物ではない。他にも図書館で探せば変な注釈本とかがあって結構面白いので、興味のある方はいろいろあさって欲しい。

電脳倶楽部版「徒然草」における諸注意


岩波文庫の「徒然草」は特徴として
句読点がやたらと多い。
「言ふ(いふ)」などの漢字の使い方が統一されていない。いきなりひらがなだったり漢字だったりする。
くどいくらいふりがなが振ってある。
難しい漢字が多い。
があります。1.2.については元本どおりに打ち込みましたが3.については少し整理して打ち込んであります(手抜きといえなくもない。ただ半角文字は色気がなくて嫌いなせいもある)。また、JISコードに載ってない漢字で形容詞・動詞等、読解上問題ないものはひらがなにしてあります。固有名詞はやはり漢字でないと困るので・・・海老原さんお願いします。元本ではひらがな(又は漢字)で表記してあって明らかに読みにくいと判断した場合は他の本を参考に漢字(又はひらがな)に直してあるときもあります。尚、変更点は明記していません。この徒然草における注意点は以上です。
どなたかこういう方面で「その筋」の方がおられたら、ぜひともあなたの思うような解釈で注釈を付けてください。そして、電脳倶楽部の穴埋めだと言われてしまうようなPDDのコーナーを「文化の香り高い」(オタッキーともいう。悪いことではない)ところにしてほしいです。

1991.11.23松田史生


徒然草の説明其の二


徒然草は続きます。(二百四十三段まである)

徒然草の解説をみると、たいてい「徒然草は矛盾が多い」と書いてあります。例えば六段で「子供はない方がいい」とあるのに、百四十二段では「子供がいないともののあはれはわからない」と言う話に、「さもありぬべきことなり」と感心していたりします。さらにひどいのは、百七十五段で始めの方で「酒は万病のもとだ」とか「酒を他人にすすめると罰が当る」と強く諌めているのに対し、後半ではさりげなく「おのづから、捨てがたき折りもあるべし。」と自分を弁護してから「風流な酒はよい」と別に酒は飲んでも構わないみたいな無責任な発言をしています。また文中共通して「下賎な連中は教養がなくて俺は嫌いだ」的発言が連発されるのに、百三十七段では「騒がしい連中には違いないけど、妙にすれた都の公家どもにくらべたらおもしろいやつらだ」と(ちょっとだけ)弁護したりして作者も結構おちゃめなんだなと思ったりします。しかし、これほどまでにわざとらしい矛盾は、なにか作者の意図が隠されているようにも思います。

この時代、世は完全な身分社会であり、生れもっての身分がその人の人生を決めていました。でまあ、貴族個人のよしあしは、教養ではかっていました。教養と言っても「数学ができる」とか「南蛮人の言葉が使える」とか「十大卒業」とかではなく、「有職故実をいくつ知っているか」と「さもありげな和歌が詠めるか」と言うことだったみたいです。「有職故実」とは朝廷のしきたりとか言い伝えなどのことで、裁判所の「前例」のようなものです。これにそったことをさりげなくすれば「おお」と知ってる人は感心してくれるワケです。つまり「知識=教養」という認識がとても強かったのです。「さもありげな和歌」いわゆる「知識をもとに和歌を詠む」ことも似たようなことです。作者も例外ではなくこの身分社会の考え方、知識至上主義的な物の考え方で「徒然草」を書いているようです。ですから、本文中にも重箱の隅の突き合い的知識の応酬や、やんごとなき人のやんごとない様子を「すんばらしい」と感心しまくったりしているところがたくさんあります。そういう時代だったのだからしようがありませんが、なんだか滑稽です(おお、むつかしい漢字を使ってしまった)。

皆さんも学校で古文の先生に「『徒然草』とくれば『仏教的無常感ただし明るい。』暗いのは『方丈記』だからね。これさえおぼえておけばいいよ」などと言われて、その通りにしてきたのだと思います。また「もののあわれ」とか「おかし」とか「幽玄」とか「有心」とか「ますらおぶり」とか「たおやめぶり」とか「ぞなむやかこそ」とか「らんめりらしべしまじなり」とか「くからくかりしきかるけれかれ」とかいろんな「言葉」(後ろの方は除外)を御存じだと思います。しかし「言葉」だけでなくもっとそれに触れるべきではないかとおもうのです。だって知識だけだったら例えば「一口で材料の出所・調理の仕方・タレの精密な組成・その他もろもろを言い当てるけど、それがウマイのかマズイのかそれがよくわからない食通のグータラ新聞記者とその父」のようになってしまいなさけないではありませんか(知識があるから分析はできるけれどもその意味が判らない)。

あと文中のふりがなに(い)・(え)というのがあります。

これは、半角文字に「ゐ」と「ゑ」がないのでその代わりです。またふりがなに使う半角文字は片仮名より平仮名を使うことをお勧めします(イクラナンデモコレデハチョトヨミニクイ)。このほうがなんとなく落ち着きがあります。しかし、ROMの半角平仮名はかくかくしていておまけにすこし大きいのでふりがなに向かないように思います。どなたか少し小さめのフォントを作っていただけないでしょうか。僕としてはすらっとした色気のあるフォントを希望します(他力本願)。

松田史生

徒然草の説明其の三


徒然草には「うそ」について述べてある部分が沢山あります。

いわゆるどう考えてもうさんくさい話。要は噂話のことです。第四十段(偏食の娘の話)、第四十二段(やたらえぐい病気の話)、第五十段(鬼になった女が京にやってきた話)、第五十三段(仁和寺の宴会の話)、第八十九段(猫またの話)、第百九十五段(ぼけた貴族の話)、第二百三十段(化けそこなった狐の話)がそれにあたると思います。

例えば「第二百三十段(化けそこなった狐の話)」。内容はこんな感じです。

第二百三十段の現代語訳


五条大宮の内裏にはバケモノがいたそうな。藤大納言どのが、おっしゃられるには、貴族たちが、黒戸というところで碁を打

っていたところ、だれかが御簾を掲げてこっちを見ていた。狐が人様のように膝をつけて座って、のぞきこんでいるのだった。人々は、「あーれー、狐ぢゃあーりませんか!?」と叫んで、びっくりして逃げてしまったのだそうだ。未熟な狐が化けそこなったのだろう。

とまあこのような、噂話を書きとめる一方、兼好は、第七十三段にうそについての自分の考えを次のように書いています。

第七十三段原文


世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、多くは皆虚言なり。あるにも過ぎて人は物を言ひなすに、まして、年月過ぎ、境も隔たりぬれば、言ひたきままに語りなして、筆にも書きとどめぬれば、やがて定まりぬ。

(中略)

とにもかくにも、そらごと多き世なり。ただ、常にある、珍しからぬ事のままに心得たらん、よろづ違ふべからず。下ざまの人の物語は、耳驚く事のみあり。よき人はあやしき事を語らず。かくは言へど、仏真の奇特、権者の伝記、さのみ信ぜざるべきにもあらず。これは、世俗のそらごとをねんごろに信じたるもをこがましく、「よもあらじ」など言ふもせんなければ、大方はまことしくあひしらひて、ひとへに信ぜず、また疑ひあざけるべからず。

大意


世の噂は、ほとんどうそである。年月を経て、伝わっていくうちに、尾ひれがついた噂は誰かが書きとめたりすると、後々、本当のこととされてしまう。

まあうそは、この世にありがちな物として受け取るのが良い。身分の低い者は凄まじい事ばかり言っている。高貴な人はあやしいことなんて言いませんよ。

そうは言っても、神の奇跡なんかは頭からうそだと決めつけるべきでもないし、世間の噂をそのまま信じるのも馬鹿らしい。噂を信じている人に「うそだってば」と言っても意味がないし、まあ、大体、本当のことと思って、でもマジメに信じたりしないで、また、疑ってばかりいるのもよくない。

狐の話は、話自体はそんなにうさんくさいことはありません。たぶん、「夜の暗い時に碁を打っていたら御簾の所に狐がいてね。そりゃまあびっくりしたよ」ぐらいが始まりで、口伝えに伝わっていく内に「狐が正座をして中をのぞきこんでいた」とか「御簾をかかげていた」とか「みんな逃げ出した」がくっついてきて、「たぶん狐が化けそこなったのだろう」や「五条の内裏には狐が化けてでる」といった結論(?)にたどりついた、単なる噂です。うさんくさいのはここからです。まず、兼好本人がいっている、「書きとめる」という(噂を真実と化させる)一大悪事をしているのは、ほかならぬ兼好本人です。また「よき人はあやしき事を語らず」と書いた兼好にこの話を持ち込んだのは、なんと時の大納言二条為世というから聞いてあきれます(二条為世は兼好の和歌の師であった)。言ってる事と、やっている事が違いすぎます。

「徒然草」には「人間、心安らかに生きるのが一番である」という兼好の主張が随所にみられます。つまり、身を世俗から遠ざけて、移りゆく季節に、花に、月に、昔の恋に、全てに、情趣を感じて一人静かに生きていく。その理想の実現のためにすべきことについて、実にたくさんの教訓じみた記載があります。また、その反対の、人間が世俗に染まってしまっているところを、「醜い」「つならない」「いやな」事として、いろいろ例記してあります。

さらに、前に例に挙げたように、著者自身が理想を高く掲げながらも、世俗にずるずると引きずられて行きながらえている「醜い」人物の一人として登場しています。

この事を、兼好の単なる気紛れととるか、自分を例にまで挙げて書き残そうとした、兼好の「言いたいこと」ととるか。それは我々が勝手に考えることです。

面白いのが最終段(二百四十三段)です。

この段は「仏は仏に教育された人間がなるのである。では最初の仏は誰に教育されたのか。」という話です。

昔の日本人にとって、仏の存在は疑いようのない真理でした。ただ、西洋におけるキリスト教なんかの言う神とは、全然違う捉え方がなされていたように思います。それはともかく、仏の存在は自身の存在を決める心のよりどころだったと思います。同じように現在の人々では宇宙の存在を疑う人はいませんね。我々は宇宙の中に生きているのですから。

ところが最近話題の「インフレーション宇宙論」では、宇宙は(親の)宇宙の一部分がぼわっと大きくなってできるのだそうです。ではその親宇宙はどこから来たのかというと、やはり宇宙なのだそうです。じゃあ最初の宇宙はどこから来たのかといえば、答えは、わからない。宇宙はあったのだ。神が作り給うたのかもしれない。となるのだそうです。この説の提唱者の偉い先生が、テレビのインタビュウーで「神が作った云々・・」と言っていたのを見た時、えらいびっくりしました。そう言えば、アインシュタインもなんかこんな感じの問題で悩んでいたというのもテレビでやっていました。

それはさておき、我々は、宇宙のように「あるのはわかっているけど、いつ始まり、何故あるのか、それがわからない。目で見えない。」という事物に囲まれて生きています。それはそれでええじゃないか。俺はここにいる。貴方は神を信じますか?といえばそれまでですが、律儀な人(変人とも言う)はそれを知りたいと思うらしいです。当然です。その中に、自分本人を含めるのならば。

とこのように、存在について疑ったり、意味を求めたりすると、結局すべて自分に帰ってくるように思います。

で、この「わたしはだれ?なぜ今ここにいるの」という疑問に対する答えで一番有名なのが「我思う故に我あり」というデカルトの言葉でしょう。かの有名なコージ苑で僕はこの言葉と出会いました。(3巻の谷崎と太宰のギャグは笑えました。)お堅い辞書に載っている意味では、「自分の存在を疑い得るのは、疑う自分がいるからだ。つまり、自分の存在だけは疑うことが出来ない。」そういう意味だそうです。

似たようなことを、丹波哲郎流に言うならば、

「あるもんは、ある。」
とでもなるのかしら。
僕がおもうのは、デカルトの答えも、やはりまだ「わたしはだれ」の答えではないという事です。確かに、僕が居ることを僕が否定することは出来ないかも知れませんが、僕が、なぜここに居るのかは分からないままです。

以前、知っている女の子が、「30年前の私の存在(彼女の両親の出会う前)は一体何だったのだろう。でも私は今ここにいる。」という話をしていました。あなたなら何と答えますか。僕は可能性の一つではないかと思い、あれこれ考えているうちに、その分母の大きさにぞっとしました。分母を大きくする「人生の分岐点」は無限の数があり常に、分岐が起きているように思います。そういう分岐が積もり積って今の僕がいる。少なくとも少し前までは可能性の一つでしかなかったのです。僕の今は偶然なのです。頼りない今ではありませんか?。偶然なのだから、別に僕はここにいなくても好いのかも知れない。こんなふうにおもったことはありませんか。でも僕はここでこうしていろんな事を考えながら、苦しみながらここにいる。偶然なんかではない。僕がここにいるのは何か意味があるはずだ。と思ったことがある人も、いるのでは。

意味はあるのかないのか。

結局、思案により得られる答えは、「解答不能」。

これに耐えられない人は宗教が似合います。

解答があってはいけないのかも知れないですね。もし、自分の存在が一方的に否定される物ならば、みんな死にます。逆に肯定されるならば、みんな殺されるのでしょう。その中間に人々がいるからこそ、存在への確信と疑いが入り乱れて、混沌とした心を作りだし、その心を整えたくて様々な表現が生まれ、悩みが生じ、人と人とが触れ会おうとするのではないでしょうか。(という青年の主張。)

僕たちは、今までも、今も、これからも、そういうあやふやな世界で、あやふやに、徒然草の著者である兼好もそうしたように、ウソをつき、言動不一致で、自分をもてあまして生活していくのでしょう。

600年間何も変わらなかったのかも知れない。

打ち込みの苦労・グチを少々

ASKの馬鹿さには閉口しました。せめて、副詞と動詞ぐらいは間違えずに解析して欲しいです。又、古文には「現代文を完全に凌駕する助詞、同じく助動詞、必殺!!ハ行四段活用の動詞、ぜんぜん違う活用をする脅威の形容詞」という、日本語FEPを苦しめる要素がたくさんあります。

僕の辞書では「出は座理ければ」と変換されるので(なぜこうなるのかは謎)「言はざりければ」と直します。「言」を「い」と名詞で登録してハ行の活用に対処しました。

あとASKは助詞や助動詞を内部に持っているようですが(辞書にないもん)これを編集出来れば便利だと思います。また一部の接尾語や動詞を差別して扱っているようです。

やはり雷太の登場が期待されます。

時間的な苦労もありました。打込人のみなさん、頑張りましょう。

後輩の「猫」を宜しく。

銀色夏生は嫌い。そういう僕はサイキッカー(笑える関西人)。

それでは皆さん、またいつか。

打ち込みに使用したソフト
本体付属のワープロver1.01and1.10
同じくeditor
ThunderWordver0.3or0.4本当にお世話になっとります
村田氏の作られたASK用辞書再編成ツール
大修館書店漢語林+JIS漢字コード
学研古語辞典
角川文庫徒然草
岩波文庫徒然草
朝日新聞社日本古典全書徒然草
第一学習社新総合国語便覧

お世話になった人

S.A,T.Kあと進路相談の先生方

感想等がございましたらこちらへ。

1992年6月1日

松田史生(17歳)



日本生物工学会代謝工学研究部会第2回技術交流会

 日本生物工学会には、代謝工学研究部会という研究活動組織があり、代表のわれらが清水教授のもと活動を行っています。代謝工学分野の基礎技術について産、官、学の交流を行うことを目指して、昨年より「技術交流会」を開始しました。有用物質生産微生物の効率的な代謝経路の設計に役立つ代謝シミュレーション法が最初のテーマです。シミュレーションの原理をみっちり勉強し、持ち込みのPCにソフトウェアをインストールして、実際にシミュレーションを行うハンズオン形式のセッションを二日間にわたって行いました。
 今年度も、昨年好評だった内容をもとに、第2回技術交流会を企画しました。8名で募集をしたところ非常に多数のご応募をいただいたため、定員を倍にまで増やして対応しつつ、泣く泣くお断りする事態となってしまい、多くの方にご迷惑をおかけすることになってしまいました。こころよりお詫び申し上げます。
 11/8-9に大阪大学で実施した交流会には産、官、学より多くの研究者、学生のご参加をいただき、2日間みっちり勉強する事ができました。いきなり持参したPCに計算ソフト(Octave)をインストールしてコマンド入力からはじまる手加減無しの内容でしたが、みなさまの熱心な取り組みのおかげで、あっというまにマスターされ、最後には多重遺伝子破壊シミュレーションをバリバリ実行されておられました。


 そのほかにもわれわれスタッフも含めた参加者の間で代謝シミュレーションの活用法に関する様々な意見交換が行われ、非常に楽しい二日間でした。代謝工学研究部会では今後も技術交流会等の活動を発展させていく予定ですのでどうぞよろしくお願いします。


2014年10月30日木曜日

清水研読書部:カリフォルニア大学バークレー校特別講義 エネルギー問題入門

清水研のミーティング件お茶スペース脇の本棚には、研究室メンバーやOBが持ち寄った多彩な本があります。


今週の新着本は「カリフォルニア大学バークレー校特別講義 エネルギー問題入門 リチャード・ムラー、二階堂行彦訳」です。代謝情報工学では、微生物のもつ代謝機能を上手に活用することで、バイオマスから液体燃料やプラスチック原料をつくれるようにしたいと考えています。しかし、エネルギーに関わる液体燃料の実現可能性は、社会環境に大きく制約を受けます。これまでは、石油を中心としてエネルギー問題が語られてきましたが、地球温暖化問題の登場により議論の見通しが一気に複雑になりました。また、シェール革命後にその環境がどのように変化するのかも、気になるところです。
本書の原題は「未来の大統領のためのエネルギー」であり、将来リーダーとして活躍するであろう若い世代に対して、いろいろなエネルギー源が一国(平たくいえばアメリカ)の発展に今後どのような役割を果たしうるかを明快に議論したものです。「人は自分が好きな技術はすぐ進歩すると思いこみがちである。逆に自分がきらいな技術については問題を克服できないと思いこみがちである。これはいずれも避けなければならない。」という考えのもとに、エコにみえるけどそうではないものをその理由付きで説明してくれる珍しい本というだけで一読の価値有りです(清水研の学生はよみましょう)。シェール革命後のアメリカでの「不足しているのは化石燃料ではなく、輸送用燃料だけである」という認識の大転換は、まだあまり日本では実感されていないように思います。アメリカではメタン資化がバイオテクノロジーの課題としてフォーカスされてはじめているところをみると、技術トレンドが今後大きく変化する可能性があるようです。がしかし、極東の島国である日本にそのまま当てはまるのかどうかについてはよく考える必要がありますね。







2014年10月27日月曜日

代謝情報工学

大阪大学大学院情報科学研究科バイオ情報工学専攻代謝情報工学(清水 浩)研究室の准教授の松田史生です。このブログでは

  • 代謝情報工学とは?
  • 清水研の日々
  • その他もろもろ

に関する記事をアップしてきたいと思います。
本ブログの記事は松田の私見であり、清水研究室の公式見解ではありません。また文責はすべて松田に帰します。