2024年3月8日金曜日

万物の黎明は人類史と読者の世界観を根本からくつがえす

「万物の黎明 人類史を根本からくつがえす」(デヴィッド・グレーバー, デヴィッド・ウェングロウ, 訳:酒井隆史、光文社)を読んだ。楽しい時間が長く続いて幸せだった。日本の歴史学習漫画などでは、縄文時代は少人数のバンドで遊動的な狩猟採集生活を行い、階層のない素朴な社会でした。ところが農耕が伝播すると、生産性が向上して、富の集積が起こり、争いと身分と国家があっという間にできました。というストーリーが語られる。このストーリーには批判が出てきていた。はたとえば、以前読んだジェームズ・C・スコットの「反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー」では、考古学的な証拠をティグリス=ユーフラテス川流域では、農耕が始まってから、国家の形成までに4000年かかっており、何が起きていたのかはわからないが、これまでのストーリーでは説明がつかないことを指摘していた。「万物の黎明」では、近年の考古学的な知見を横断的に集積して、これまでのストーリがほぼ全部違うというちゃぶ台返し、さらには、そのストーリーが含意する政治的なバイアスを暴き出すことで、もう何か全部粉砕してしまってくれている。本書を受けて、我々は、もはや、現在、過去、未来の社会について、合目的、進化的ストーリーで語ることも、擁護することも、批判することすらできなくなってしまった。サピエンス全史などは、もう完全に吹っ飛んでしまった。

本書は、17世紀のアメリカでおこなわれたキリスト教伝道師とネイティブアメリカンとの対話で、ネイティブアメリカンがヨーロッパの社会の専制性、不平等性、残虐性に対する根本的な批判を行い、それが、伝道記を通じてヨーロッパ社会に伝わり、自由、平等、博愛を掲げたフランス革命につながったことを指摘する。つまり西洋は自由、平等、博愛という概念をネイティブアメリカンの社会に教えてもらったらしい。本書は、その後、初期の人類社会では、様々な形態(専制的だったり平等だったりする)社会が生まれては変化してゆく、動的でとにかく多様であったことを、これでもかという考古学的な実証を踏まえて示し、その過程で、上記のストーリーに出てくる要素が一つ一つの粉砕されていく。ネイティブアメリカンの社会は、特に、専制的な社会の出現と消滅を経験した教訓から、かなり意識的に階層を作らない仕組みを、相当な試行錯誤を経て作り続けてきていたようだ。では、これと同じことは我々にもできるはずである。現行の社会は歴史的な必然でも社会進化の最前線でもない。われわれは自分たちの意思とコミュニケーションを通じて、自由、平等、博愛を実現する社会を構築できるはずだ。と力強く読者の背中を押してくれる。本書の最後では、平等な関係に対称性が生まれるメカニズムに関して、社会的な弱者を実力者が庇護してきた点との関連を指摘しているが、詳しくは述べられていない。このテーマは、日本中世社会を、社会的弱者の聖性が失われ被差別民となっていく画期として描いた網野善彦の仕事に通底するように思えるが、網野はそのメカニズムは述べていない。このテーマをおそらく深堀するはずだった、デビット・クレーバーの次回作が読めなくなってしまったことが残念でならない。

3/13追記:「万物の黎明」は石器時代の人類が残した世界各地の遺構を発掘して得た考古学的最新知見を縦横無尽に逍遥してゆく。ただ、本文中に図版や写真が少なく、いまいちイメージがわきにくい。読みながらWikipediaやGoogle Map現地の様子や、出土品の写真を見ながら読み進めると、より、楽しく読めた。「万物の黎明」にでてくる遺跡などの写真を集めた、ビジュアル「万物の黎明」ガイドみたいな本があったらいいのにと思う。