2021年8月24日火曜日

この理念

 大阪大学の全構成員は、6/11発の「大阪大学の全構成員の皆さんへ」という文書により、大阪大学総長選考会議より「この理念を指針として活動されることを」求められています。「この理念」とは「大阪大学憲章」の理念を指しますが、それがどんな理念なのかは文書には示されておらず、よくわかりませんでした。そこで、筆者はこれまでの不勉強の怠慢を深く反省し、心を入れ替えて「この理念」が意味するところをよく学ぶこととしました。

慶応大学や早稲田大学などの私立大学では、創始者が「建学の理念」を記した文書を残していることが多く、たとえば、慶応大学の構成員や学生は「気品の泉源、智徳の模範」といった理念の意味を解釈するものとして、福沢諭吉の弟子の一人に加わることができ、さらに、正統的な解釈を受け継ぎつつ、時代にあった独創的な解釈を実践することで、建学の精神を引き継ぐことができるという仕組みになっています。

法律をもとに設置されていたかつての国立大学には、このような建学の理念がそもそもなく、独立法人化した平成 15 年ころに各大学が「大阪大学憲章」に当たる文書を作成、公表した経緯があるようです。

まず、東京大学の「東京大学憲章」は、前文1800文字、本文3200文字という重量級で、憲章の改正規則を含めたり、「憲章の意義」という大項目を掲げ、本憲章の使い道を示すことまでしてるのは、東大が唯一です。「本憲章は、東京大学の組織・運営に関する基本原則であり、東京大学に関する法令の規定は、本憲章に基づいてこれを解釈し、運用するようにしなければならない。」とあり、(自分たちの教え子の役人が作った)法令の解釈権が東京大学にあることを示すことが主目的である。と明示しています。さすがである。といえましょう。

東京大学「東京大学憲章」5000文字

その正反対なのが京都大学です。京都大学の「基本理念」は前文が87文字、本文が445文字と東大の1/9しかなく、「自学自習を促し」「教育研究組織の自治を尊重する」などの伝統を盛り込みつつも全体としては、誰かが「京都大学」に対してかくあるべしと指示する憲法のような文章なのか、「京都大学」が構成員の行動の指針を示したのか、どっちともとれるようなとれないようなあいまいさを残すことで、この「理念」にその後の活動が縛られたくない感がひしひしとつたわる作りになっております。他の旧帝大系国立大も、文字数でいうと京大に近いようです。

京都大学「基本理念」532文字

北海道大学「基本理念と長期目標」1739文字

東北大学「使命と基本的な目標」1070文字

名古屋大学「学術憲章」935文字

九州大学「学術憲章・教育憲章」916+1013文字


われらが「大阪大学憲章」ですが、前文が220文字、本文が930文字と文字数では中位グループにあります。

大阪大学憲章「大阪大学憲章」1150文字

「大阪大学憲章」の特徴は、前文においてその源流「かねて大阪の地に根づいていた懐徳堂・適塾以来の市民精神を受け継ぎつつ」への言及がある点です。他にこういう記述をしているのは、札幌農学校を前身とする北大のみです。

さらに、各大学の憲章を読み比べてみますと、「大阪大学憲章」での「1.世界水準の研究の遂行」「2.高度な教育の推進」「3.社会への貢献」「5.基礎的研究の尊重」「6.実学の重視」「8.改革の伝統の継承」「9.人権の擁護」「11.自律性の堅持」に相当する内容は各大学で共通してみられます。一方、各大学が大事にしているキーワード(「門戸開放」(東北大)「フロンティア精神」(北大)「市民精神」(阪大憲章の「4.学問の独立性と市民性」))が独自性アピールとして盛り込まれています。

加えて「みんななかよく」というような「こうあるべし」という文章が掲げられるのは、前提として「みんななかよくなっていないから頑張ろう。」という状況にあると受け取るのが自然であり、「大阪大学憲章」が「7.総合性の強化」(部局間の連携)に掲げる内容は東大、京大も採用していますが、「頼むから部局間で仲良くしてほしいなぁ」という願望が垣間見えます。

「大阪大学憲章」がユニークなのは、「10.対話の促進」において、「大阪大学は、あらゆる意味での対話を重んじ、教職員および学生は、それぞれの立場から、また、その立場を超えて、互いに相手を尊重する。」としている点です。これに該当する内容は、上記の他大学には見られません。わざわざ書くということは、「大阪大学は対話が苦手で、互いに相手を尊重するのが下手だからがんばろう」という戒め、であるととらえるべきと思われます。

6/11発の「大阪大学の全構成員の皆さんへ」という文書が「大阪大学憲章の理念」を指針として活動することを全構成員に求めている以上、本文書そのものが、「対話の促進」を求めた大阪大学憲章の理念の実践の模範例であると思われます。しかしながら本文書の目標が、同会議が最近行った決定に関する対話の促進を求める学内の動きを終結させること、であるというのも明白であり、大阪大学憲章の理念に合わないように読めてしまうのは、もちろん筆者の不勉強に起因する、誤読であることは間違いありません。

では、「大阪大学の全構成員の皆さんへ」という文書がいう、「大阪大学憲章」の「この理念」とはどのようなものなのでしょうか?そこで、前文にはもっとも大事な理念が書かれるのではないかという仮説を立て、「懐徳堂・適塾以来の市民精神を受け継ぎつつ」という記述に注目してみました。本来は「重建懐徳堂」の復興を果たした明治、大正期の大阪市民の学問に対する熱意などを指すと考えるべきですが、大阪大学懐徳堂研究センターのホームページが筆頭に掲げているのは、江戸時代の懐徳堂の代表的な学者である「中井竹山」のイラストです。巨漢だったという「中井竹山」のコロッっとした人物画(結構かわいい)が「懐徳堂」のアイコンとして利用されていることからも、重要人物であったことがうかがえます。Wikipediaによると、中井竹山とは「懐徳堂の四代目学主として全盛期を支える」すごい人であったようです。その事跡として”懐徳堂を大坂における官立学問所とするべく、老中松平定信の来阪時に面会した”こと、学風は、”朱子学(武士階級が自らの立場を正当化するのに使った)を信奉し、朱子学を批判した荻生徂徠を厳しく排撃したが、懐徳堂では、徂徠の「古義学」を排斥することはなかった”ため、「傍目から見るとやや折衷学派的な態度に見えたようである。」などが挙げられており、やや体制寄りの傾向がある、原理原則よりは現実派という人物像が垣間見えます。これをもとに、「大阪大学の全構成員の皆さんへ」が言う「この理念」が「体制寄りの現実派精神を受け継ぐこと」を意味しているという仮説もあり得ますが、そもそも中井竹山についてWikipediaの記述のみに依拠してはならず(学生のレポートなら減点ですね)、これまた筆者の誤読でしょう。

「大阪大学の全構成員の皆さんへ」という文書は、「大阪大学憲章」の理念の正統な解釈の実践を宣言しつつ、一見すると「大阪大学憲章」と矛盾しているように見えてしまう、という謎を提示することで、「大阪大学憲章」とは、メタレベルで読解すべきが理念が存在する、開かれたテキストであることを示唆し、その解読をめぐる対話を促進しようとする、教育的意図と深い洞察にあふれた優れたものであります。今後も、「この理念」を指針として活動していきたいものであります。