2023年4月5日水曜日

スズキ歴史館

 スズキ歴史館に行った。入ってすぐのホールに、無造作にグランプリのチャンピオンマシンがきつきつに並べられていて(2020年のミルのマシンもある。)度肝を抜かれるのであるが。その無造作ぶりがなんというかスズキの社風であるかのように思えた。一方、ガラスケースに仕舞われて大事に販売されていたのは、湯呑であった(観賞用に買いました)。また、展示されているたくさんのバイクの中に、スズキ変態バイクの極みの東京タワーとして知られるGSX400X-IMPULSE(インパルス)があった。写真で見ると確かにすごーくかっこわるいのだが、初めて実際に見た実車は、これはこれでありじゃん、というかっこよさであった。同じことはSV400Sのカウルにも感じる。これも写真で見ると昆虫っぽくて変な感じなのであるが、現物はいやこれはこれでかっこいいんですけど。と思ったものである。鈴菌のせいでいろいろとおかしくなっているだけなのかもしれませんが。


宇宙検閲官仮説

 「宇宙検閲官仮説 「裸の特異点」は隠されるか (ブルーバックス) 」を読んだ。中学生のころ、雑誌ニュートンで盛んに特殊相対性理論(光速に近い条件下での物理)の特集が組まれていたのを読んで、もちろんよくわからないけど、不思議な世界だなーという感想があった。本書はその次の一般相対性理論(重力非常に大きい条件での物理)を構成する微分方程式を解説する。一般相対性理論の微分方程式は特殊な条件下でのみ解が見つかっており、最初に見つかった解からはブラックホールの存在と、「特異点」(微分できない=不連続)の出現が予測された。ただし、「特異点」が事象の地平線の内側にあるので、「特異点」がむき出しにならない。本書は「特異点」が自然に生じることを証明したペンローズの業績を中心に解説していて楽しかった。特異点があると宇宙がなりたたないので、特異点はむきだしにならないように隠されている=検閲官仮説らしい。ということは、特異点はむきだしになると何が起きるのだろうか。ビッグバン?

最近、代謝の動的モデルを構築しているが、代謝の場合、細胞内の栄養素がゼロになる(濃度の時系列曲線が折れ曲がる)ったりして死ぬことは、よく起きる現象であり特異点がむき出しになりすぎて困っている。また、細胞はミトコンドリアが不調で特異点いたって死にそうになると、そうなる前にアポトーシスというメカニズムで、自爆じゃなくて自殺することが知られている。

舞い上がれるが舞い降りれない

朝ドラの「舞い上がれ」をせっせと見てしまった。10年ほど前に読んだ「女の子を殺さないために 解読「濃縮還元100パーセントの恋愛小説」」(川田宇一郎)によると、女の子が上昇してみんなより先に歩くと死ぬ。という日本文学の伝統があるらしい。たしかに、「天気の子」でも陽菜が透明になって空の上に登っていくのは、死を意味していたが、そうはさせまいと帆高がまさしく引きずり下していた。また逆に女の子が下降すると、世界の秘密が解明されるというモチーフもある。「風の谷のナウシカ」でナウシカが流砂で腐海の底に落ちると、腐海の秘密がわかる。「君の名は」で三葉が最後、山から転げ落ちるように下山すると世界の運命がかわる。というように上昇、下降はアニメーションでも繰り返し出てくるモチーフとなっている。さらに「夢分析」(新宮一成)によると「空を飛ぶ夢」をもっとも素直に読むと、言語の獲得体験の再経験であるが、空を飛びすぎる=言葉だけの存在になる=あの世に行くという意味も持ち得るらしい。

「舞い上がれ」で興味深いのは、ヒロインの舞は、空を飛ぶことを夢見て、努力して空を飛び、さらに空を飛んでも死なない。のである。むしろ、舞の困難は「着陸できない」ことである。これは、日本文学の伝統が怨念となって舞を空から降ろすまいとしているようにも思える。たとえば、なにわバードマンでパイロットとなった舞は着陸しないために、必死になってペダルをこぐことを求められる。その後、パイロットになりたい!と、養成学校に行った舞がてこずったのは着陸である。そこで、「天気の子」のように、舞を愛した男たちがなんとか着陸させようとがんばる。部屋に作ったシミュレーターでの練習で、レバーに手を添えて助けてくれた柏木とは恋仲になる。また、その後の飛行実習では強風のため着陸できなくなり、他の空港まで移動する窮地に陥る。そこに飛行機を飛ばして、助けてくれた大河内教官から、世の中のみなさんは男女の機微を読み取って悶絶していた。このように「下降」をする際には男の子が女の子を助けることが多い。

また、最終週で空飛ぶ車のパイロットとして舞は再び空を飛ぶが、やはり着陸シーンは描かれない(着陸しないまま物語が終わる)。これは時系列的に未来のシーンということもあり、ばあばを天国に送り届ける冥界のパイロットの幻のシーンである、ともいえるかもしれない。

さらに興味深いのは、幼馴染の貴司君である。貴司君は下降を好む上昇できない男の子でありつつ、短歌という「言葉」得ることで社会的に上昇したりする。しかし、言葉をみつけるまでには「海の底に潜らなくてはならない」という下降を経る必要がある、かつての穴に落ちる物語の主人公のタイプの男の子である。「舞い上がれ」では、この上昇する女の子が、下降する男の子と結ばれる物語を作るという課題にチャレンジしたようであるが、舞が貴司君と結婚した理由は、視聴者にはまったく理解ができなかったと思える。案の定、貴司君は舞につれられて上昇すればするほど、言葉を失い、最後は一人でパリに下降しに行く。というダメダメぶりであったし、最後になにかオチがついたわけでもなかった。なかなかむつかしい。