起源の神話を粉砕する本を何冊か読んだ。
「負債論: 貨幣と暴力の5000年(デビッド・クレーバー)」が粉砕を目指すのは、経済学が説く貨幣の起源に関する神話である。昔々、物々交換の経済がありました。しかし、欲しいものと、余っているものとのマッチングが難しいです。そこで貨幣が登場して効率化できました。めでたしめでたし。というお話は、これまでのところ物々交換しかない社会が見つかったことがない。という点と、原始的な社会における貨幣が、人と人との関係を取り結ぶために用いられる、例えば婚姻における結納品のような役割を持っている、点で退けられる。貨幣とは「どうやっても支払い不可能である負債」存在することを示す証拠として贈られる。貨幣を渡して、相手にわびをいれ、負債のあることを認め、その解消に努めることを象徴するものとしての貨幣である。レヴィストロースの親族の基本構造では婚姻関係の規則が、社会構造を構築することを示したとされるが、その裏バージョンとして、負債が社会を構築しているとも言えることになる。さらに、婚姻関係は相当古いものなので、貨幣の期限も相当古く、「どうやっても支払い不可能である負債」という概念がシンボル化した段階で登場したのだろう。さらに、そこに暴力が介入すると、「どうやっても支払い不可能である負債」が奴隷によって支払われるようになる。借金のカタに家族が売り飛ばされるというやつですな。また、本書で問題になるのは、この世には返さなくてはならない借金と返さなくていい借金があり、それは、貸し手と借り手の非対称な力関係すなわち暴力が関わるという点を指摘する。経済学的な貨幣の起源論が隠したいのは、貨幣に必然的に付随する非対称性、暴力だったのである。
本書の面白い指摘としてアメリカ国債がある。現在アメリカは世界の各地に自分の基地を置いている。そういう国は歴史的に帝国と呼ばれる。アメリカは強大な軍事力の維持にドルを使っている。そのドルでアメリカ経済は外国(日本とか)から商品を買い、日本は取得したドルで、アメリカ国債を買っている。これって帝国への上納ってやつじゃないの?という指摘は非常に興味深い。
「言語の起源 人類の最も偉大な発明(ダニエル・エヴェレット)」が粉砕を試みるのは言語の起源、ヒトは10万年くらい前にFOXP2という遺伝子に起きた変異で言語を話すようになり、その言語の核心とはチョムスキーの生成文法がいうところの「再起」である。というお話である。ます、言語ができる前段階には、シンボルが必要であること、シンボルさえあれば、言語まではそれほど遠くないことが議論される。言語の存在を直接示す物的証拠はまず見つけられないが、シンボル(人の顔)の存在を示唆する化石なら、100万年以上前のホモ・エレクトスの時代のものがあるらしい。さらにシンボルは芸術や文明にとって必須であり、シンボルがあるなら言語もそれに付随してあると考えられるのではないか、むしろ社会と言語の成立は切り離すことができるのか、という問題提起が行われている。また、「再起」がない言語の存在を示すことで、チョムスキーの生成文法というか言語=文法という観点を完膚なきまでに粉砕しようとしている。
本書では最初のシンボルについて何も述べられていないが、「負債論」と組み合わせて考えるとするなら、それは「どうやっても支払い不可能である負債」であってもおかしくはなく、たとえば20万年前のベレカット・ラムのビーナスは、そのシンボルとしての美術作品なのかもしれない。「言語の起源」は貨幣に関する言及を一切していない、負債については一瞬登場する。アマゾンの古い言語であるピダハン語の例で「私はあなたにバナナをあげる」「そうしていいよ」というもので、その説明としてあらゆる贈り物がお返しを前提にしており、バナナをあげるなら明日はあなたが私に何かくれるべきだという交換が前提にされている。という解説においてである。もしこの点を拡大解釈するなら、負債があるという感情が生じて、シンボル化することで、貨幣と言語が同時に生まれた。とも言えるのかもしれない。