2024年11月8日金曜日

「センスの哲学」を聴く

 「センスの哲学」(千葉 雅也、文藝春秋)を読んだというか聴いた。というのも、ある先生から教えてもらった、徒歩通勤時間にAmazon朗読サブスクのAudibleを聴く、という技を最近実践しはじめ、その2冊目に選んだのが本書だったからである。本書は、センスがいい(と著者が思っている)芸術の鑑賞技術を伝授する。という攻略本の体裁をとっている。その技術の鍵は、作品の様々なレベルに存在するリズムの、反復と差異、を見出すことであり、その元ネタがドゥルーズの「差異と反復」であることも説明される。

もし、技術の実践テキストであるならば、多数の例題と解読の実践例を通じて、リズムの反復と差異がどのようなものであるかをしつこく説明し、さらに、それを、作品のいわゆる大文字の意味とか意図と対比させることで、作品をより面白く読めるご利益があることを、多くの読者にわかるように書くのが普通だろう。さらに、その過程で体得した概念が、ドゥルーズの「差異と反復」のそれにあたることを指摘することで、哲学にも入門できたりすると素晴らしい(内田樹の「映画の構造分析」がまさしくそうなっている)。

一方、本書が取り上げた作品例は、表紙の抽象絵画を含めて数例程度、解読の実践もないわけではないが、豊富にあるとは言えず、じつのところ、本書を読んでも反復と差異を読みだす技術は身につかない。また、作品をより面白く読めることがわかるような説明もあんまりない。技術を教える気はあんまりなさそうである。一方、筆者が饒舌に語り続けるのは、実践するための「姿勢」というか「言葉」である。もともと、そういうものの見方に気づいている読者は、その「姿勢」や「言葉」を手掛かりにその先に進むことができると思われる。初学者向けではなくで中級者向けの本のようだ。

一方、この本を聴いていると、筆者は、筆者の「語る」姿勢や言葉をかっこよく見せるために「差異と反復」をはじめとする、おしゃれキーワードを参照しているように感じた。とくに本書の最後では、その「姿勢/言葉」の獲得が作者の生い立ちと深くかかわることがネタバレされるので、本書が、著者の生きざまの「言葉」がいかにかっこいいか、という点に関する、自身による解説書であるといえるのかもしれないなと夜道を歩きながら思った。

このように感じたのもの本書を音声として「聴いた」からである。文字を読んでいたら、また別の感想を持ったかもしれない。朗読では、特に、本書のような話し言葉に近い文体は、言葉(ロゴス)が音声(パロール)としてあられもなく現前してしまう。自分の言葉を「聴きたい」音声中心主義にとっては夢のような状況であろう。一方、「センスの哲学」の前に聴いた漱石の「こころ」はくどいほどの「私」という主語の多用と、そもそも「先生の遺書」であるという初期設定のせいで書き言葉、エクリチュールの朗読として聴けた。ただ、漱石の文体特有の切迫感の度合いが読むときに比べて大分減るなあとも感じた。

本書の説く「姿勢/言葉」とそれに基づく鑑賞、批評技術は90年代ころに、大文字の意味に対抗するために流行ったポストモダンのそれ、そのものであるように見える。むしろ現在の課題は「良い大文字の意味」を再び見出すことであるように思えるが、本書がそこにまったく関心を示していないのがおもしろい。


2024年9月2日月曜日

纏向じゃなきゃならない理由は何?

 先日、JRのまほろば線にのってヤマト王権発祥の地と言われる纏向遺跡を見に行った。巻向駅のまわりは奈良の町はずれって感じでのんびりしていた。すこし歩いていくと3世紀前半の掘立柱建物の遺跡が住宅地のちょっとした公園、って感じで無造作に突如現れて驚いた。南には3世紀前頃につくられた最初期かつ最大の前方後円墳である箸墓古墳が見える。

現地に行って感じたのは、なぜ、ここなのか?である。3世紀前半にはここでヤマト王権を始める理由があったはずである。それは何か?よく、ここは大阪湾から大和川を通って伊勢に抜ける交通の要衝だからと説明されるが、纏向は5世紀までにはあっさり衰退したと言われており、いまいち納得できない。また、3世紀中盤は魏志倭人伝で卑弥呼率いる女王国が魏に使者を送ったりしていた時期のハズで、邪馬台国と纏向遺跡の関係はどのように説明されているのか大変気になった。

そこで、学会に出かけるお供に古代史の親書をいろいろと読んでお勉強してみた。

1.「『日本書紀』だけが教える ヤマト王権のはじまり」 (扶桑社BOOKS新書) 伊藤 雅文 (著) 

本書は出版された2019年に読んでいたが、うろ覚えだったので確認した。

・日本書紀に書かれた紀年は水増しされている(唐とタメを張るために、初代神武天皇は紀元前660年即位にすべくサバ読んでいる)

・いろいろと紀年を復元する試みはあるがあちこち無理がある。

・日本書紀は10代崇神天皇以降は編年体で記されている。中国の文献の編年体では1年1事績書くルールとなっている。

・そこで、もともと日本書紀は編年体の1年1事績ルールで書かれていたが、サバ読むことになったときに、単純に年を飛ばして水増ししたのではないか?という仮説を立てた。

・仮説をもとに1年1事績ルールに戻してみたら、10代崇神天皇の即位年は西暦301年になった。崇神天皇以前は架空の大王だとおもわれるので、ヤマト王権のはじまりでもある。

というものである。年表は著者のブログにも公開されている。なんとなく、ほかの説よりも話がシンプルで無理がないような気がする。

もしこの説を採用すると、纏向遺跡・箸墓古墳は崇神天皇以前、ということになる。

2.「古代国家はいかに形成されたか 古墳とヤマト政権 (文春新書 ) 白石 太一郎 (著)

1999年の本である。古墳を発掘して得られた考古学的な知見をもとに、古墳を造営した政治勢力の形態を推定している。前方後円墳の出現を画期として古墳時代が始まった。

・前方後円墳の先祖は2世紀の後半に吉備で作られた楯築墳丘墓であるとされる。円墳の双方に方形の出っ張りがある。

・3世紀初期の纏向に小型の前方後円墳が突如出現し、3世紀中盤には墳丘長278m、高さ30mの超巨大な箸墓古墳ができる。

・箸墓古墳には吉備の古墳の特徴である宮山型特殊器台・特殊壺がおかれていた。

・同じころ、吉備地区、豊前、玄界灘地域にも全く同じ様式の前方後円墳が出現した。特に吉備地区の茶臼山古墳、豊前の石塚山古墳、箸墓古墳と全く同じ設計でサイズが1/2となっている。

・こういう古墳の分布から著者は「こうした古墳の出現の前提となった広域の政治連合が、機内の大和を中心に形成されていたことを物語る。」「畿内大和から瀬戸内海沿岸各地を経て玄界灘沿岸に至る海上交通路にあたる地域にほかならない。さらにこのルートが朝鮮半島に及ぶものであったことは疑いなかろう」「弥生時代に朝鮮半島との交渉に中心的な役割を果たした玄界灘沿岸地域にはあまり大きな出現期古墳がみられず、むしろ北部九州でも瀬戸内海の豊前に最大規模の出現期古墳がみられることも注目される。このことは出現期古墳を生み出した政治連合の形成の契機が、鉄資源をはじめとするさまざまな先進的文物の輸入ルートの支配権をめぐる、玄界灘沿岸地域と瀬戸内海沿岸地域の争いにあったことを示唆するものではないか、わたくしは考えている。」とまで思弁を拡げる。

・このころ日本列島社会は鉄を朝鮮半島から輸入していた。たしか鉄の輸入路を押さえたものが勝ちだろう。

・これを裏付けるものとして弥生V期(2-3世紀)まで中国鏡の分布の中心が北部九州にあったのが、古墳時代(3世紀中盤)になると畿内を中心とする分布に一変する

ことなどが述べられる。

・さらに「古墳出現の前提となる広域の政治連合の成立が、三世紀初頭の邪馬台国連合の生成立に他ならないとすると、中略、出現期古墳を生み出した政治秩序は、その後のヤマト政権の政治秩序そのもの」として、邪馬台国大和説へと発展し、日本書紀が箸墓古墳の被葬者が天皇の娘で三輪山の神オオモノヌシに使える巫女であったヤマトトトヒモモソヒメと伝えることから、「箸墓古墳が卑弥呼の墓である蓋然性は決して少なくないと思われる」とまでのべている。

本書はこのように各時代の前方後円墳の分布から、当時の政治的状況を再現しようと試みる。また、古墳の副葬品として重要な「三角縁神獣鏡」についてもどこでだれが作ったのかがはっきりしないむつかしい問題になっていることを教えてくれる。

3.古墳の古代史: 東アジアのなかの日本 (ちくま新書 ) 森下 章司 (著)

2016年出版。本書は日本の前方後円墳を東アジアの歴史の中で解読しなおしてみるという試みである。読むと日本列島社会が紀元前から朝鮮半島とものすごく密接に関わりながら共通点を持ちつつ、相違点も際立たせながら発展してきたことがわかる。中国、朝鮮は穴を掘って埋葬し、その上に土を盛るのに対して、日本列島は土をもってその上に穴を掘って埋葬するという大きな違いがある。このように古墳の比較考古学から、各国の習俗や文化を読み取ろうとするのが本書の特徴である。

・纏向にヤマト政権ができ始めていたころ中国は189年に後漢の霊帝が死去し、各地は群雄割拠となっていた。220年~280年は魏・呉・蜀の三国が分立対抗した三国志の時代に当たる。中国の極東窓口だった帯方郡は魏に乗っ取られたり(238年)、さらに、魏も晋に乗っ取られたりして(265年)、帯方郡を通じた中国からの影響力が著しく低下した。

・本書の指摘として面白いのは、そしてちょうどその時期に日本列島の墳墓が一気に大型化したというものである。親分の中国に遠慮して墳墓を小さめずっと我慢していたけど、250年ころ親分の力が落ちてきたので、よっしゃこの隙に作ったれとどかんとつくったのが箸墓古墳ということなんだろうか。。ただし本書は邪馬台国のありかについては首をつっこまない。

4.記紀の考古学 (角川新書) 森 浩一 (著)

2005年に出た朝日文庫版を角川新書に2024年に採録したものと思われる。この本の著者は、記紀と考古学的知見のつじつまをあわせることを中心テーマに据えた研究を展開し、仁徳陵を大仙古墳と呼ぶべし、と言い出したりした影響力があるひとだったらしい。また、邪馬台国畿内説を厳しく批判しており、前方後円墳の波及をヤマト王権の確立と連動させない。学者の書いた歴史書というお堅い本ではなく、記紀と考古学的知見について、著者が思いついたことを十全に語るというエッセイの趣が強く、「自分のためのメモとして記すが」などという気楽な書きぶりとなっている。逆に、教科書的な要素は小さいので、記紀と周辺の考古学的知見についてよくしらない、私のような初学者にはついていくのが大変だった。この本をぱらぱらと読めるようになりたいものである。

5.大和朝廷と天皇家 (平凡社新書)武光 誠 (著)

2003年に出た本。Wikipediaをみると著者は年に4冊ペースくらいでめっちゃいっぱい本を書いているすごいひとらしい。本書も通史というよりはいくつかのトピックごとに基礎知識を説明しつつ、著者の博覧強記の語りを大いに楽しむという構成となっている。

纏向については260ページに「交易の核、纏向」と一節をもうけ、纏向の遺跡からは人工運河跡や「口市」と墨で書かれた土器などが見つかっている。また、関東から中国地方の様式の土器が占める割合が高い。ということから、やはり、「纏向が全国の交易の核として栄えたありさまがわかる」としている。やはり交易の結節点なのか。。

6.古代史講義 (ちくま新書) 佐藤 信 (編集) 

2018の本。古代史に関する新知見をトピックごとに説明したアンソロジー。第一講「邪馬台国から古墳の時代へ(吉松大志)」にはいくつか興味深い説明がある。魏志倭人伝が示す邪馬台国までの距離が謎とされてきたが、これは中国が王化の範囲とみなす東西2万八千里のちょうど端っこ、つまり王化の東の端だということを示しているらしい。また、中国と日本列島の交流チャンネルも邪馬台国<=>帯方郡だけではなく、山陰<=>朝鮮半島 など複数あり得、古墳時代になって弥生時代の交易システムが終焉し、ヤマト王権が仕切る交易体制にシフトしたのではないかとのべている。はっきりとは述べていないが、弥生時代の交易システム=邪馬台国が衰退し、4世紀までにヤマト王権が仕切る交易体制(宗像沖ノ島祭祀が象徴)にシフトしたといいたいように見える。

7.つくられた卑弥呼― 女の創出と国家 (ちくま新書)義江明子 (著)

2005年の本。記紀の読解にジェンダーバイアスがかなり入っているというもの。もともと男女双系の社会だった日本では女性の大王も普通にいたし男女で尊称にちがいはなかったらしいのだが、中国からみると珍しいので女王とわざわざ呼ばれた。また、日本書紀は男女の尊称に違いが持ち込まれ、それが古事記の解読にも影響を与えることなどが述べられる。また名前の読解がおもしろい。「三世紀においては、「ヒ」は各地の酋長が名乗っていた称号であること、四世紀以降、のちにヤマト朝廷につらなる政治勢力が「ヒ」を独占し、「日の御子」を名乗りはじめ、天孫降臨神話の完成にいたる、という歴史的推移も見えてくるのではないか」と述べている。

さらに、日本書紀が箸墓古墳の被葬者とするヤマトトトヒモモソヒメ(崇神天皇の大叔母)についても、ヤマト、トト、ヒメはヤマトの高貴な女性の称号的名称(他の名前にでてくる)、モモソは「永くつづく」という意味の称え名か?となると残るのは「ヒ」である。「箸墓古墳が、中略、ヤマト王権成立期の始祖的王の墓であることは動かない。朝廷の手でまとめられた最初の正史である「日本書紀」がその墓に葬られた人物を、女性と伝えているのである」としたあと、「ヒ」という名前とアマテラスや卑弥呼と関連をほのめかしている。


8.日本書紀「神代」の真実 - 邪馬台国からヤマト王権への系譜 - (ワニブックスPLUS新書) 伊藤 雅文 (著)  

2020年の本。10代崇神天皇の即位年を西暦301年とした著者の近刊である。この著者は主に日本書紀の読解から、邪馬台国は近畿にはありえない。熊本だ!という本を出していたりする。本書の主張は、崇神天皇=神武天皇として、記紀の神代の記事にある、出雲の国譲り、神武東征などを、歴史として再構成することにある。それによるとアマテラス=卑弥呼は崇神天皇=神武天皇の3代前で175年ころ誕生、崇神天皇は250年ころのうまれで国弓弦は260年ころ東征は295年ころになるらしい。おもしろいだが、あまり考古学的な知見との整合性は意識されていないように思う。いちおう箸墓古墳とヤマトトトヒモモソヒメについて触れているが著者の再構成した歴史にはあまりしっくりはまっておらず、「箸墓古墳は築造年代がまだ確定されていない。研究者によって、三世紀半ばから四世紀半ばまで語られる年代に大きな幅がある」としてじゃっかんすかし気味に避けているような印象を受ける。

9.農耕社会の成立〈シリーズ 日本古代史①〉 (岩波新書) 石川 日出志 (著)

2010年。岩波新書のシリーズ 日本古代史の1巻目。これはとても素晴らしい弥生時代の教科書となっている。最初からこれを読めばよかった。

前方後円墳出現までの弥生時代末期までを範囲としており纏向についても当然ふれられている。まず、「本書では、考古学的に見て、弥生中期後半~後期に北部九州で最有力であった地域は奴国と伊都国の領域であるにもかかわらず、伊都国が「世々王あるも、倭女王国に統属」したことから、邪馬台国所在地には北九州以外のいずれかの地域を考えざるをえないとみる。中略。考古学的方法によるかぎり、定型的前方後円墳の形成や、中略、の核となった地域として奈良盆地のとくに東南部をあげることに異論はないであろう。」と明快である。

また、

・畿内は弥生時代中期に勢いがおとろえる(遺跡の規模が小さくなる)

・吉備、出雲地域では弥生時代中期ー後期に共同体の祭祀にもちいた銅鐸が一気にすたれ、そのかわりに強い権力をもった個人を埋葬した墳丘墓が出現する。

・その後突如纏向型前方後円形墳丘墓が3世紀初めころ出現する。

・前方後円形墳丘墓は吉備の伝統を引く。

・前方後円形墳丘墓の棺は北九州の様式らしい。

・そのころ漢鏡の分布も北九州から奈良盆地に中心を移す。

という流れであることが述べられる。

ひとまずまとめ

ということで、いろいろ読んでみたが、最初の疑問はまだ謎である。

・三輪山のオオモノヌシは出雲から来た神様らしい。三輪山の南側には「出雲」という地名まである。

・纏向で見つかる土器には他地域ものの比率が高い。

ことから、どうも日本中の勢力が3世紀の初めころ、纏向を目指したようなのであるが、それが何なのかの説明はみあたらなかった。

ある時期に町が極端に栄えて衰退するのはのは鉱山町である。この時期、三輪山周辺に、鉄鉱石あるいは朱か水銀の鉱床が見つかり、それを基軸とした交易圏が形成された。というような話もあり、そうじゃないかなとも思う。ただ、記紀の記述とも、上記の考古学的な知見ともあまり合わないように思う。謎は深まる一方である。







2024年9月1日日曜日

大阪LOVER 読解

 ドリカムが2007年に発表した「大阪LOVER」は「私と離れて大阪に住むあなたに会いに行っても、なかなか一緒に住もうと言いだしてくれずにやきもきしている」わたしの歌である。大阪界隈でFMを聴いていると、この曲を年に1回くらいの頻度で聞いているように思う。なにか大阪人の心にしみるものがあるのだろう。

 あるときこの歌をラジオで聞きながら、では新大阪駅まで「むかえに来てくれたあなた」はどこに住んでいるのかという話となり、どうも新大阪駅から車に乗って御堂筋(梅田より北では新御堂筋)の渋滞に引っ掛かるってことは、北か南のどちらかだろう。明日は「万博公園の太陽の塔」を見に行きたいと言い出す、ってことは太陽の塔になじみのある北摂地区とくに吹田市だから、北。車を持てる独身単身者が住みそうな場所って言ったら、駅チカで生活に便利なところだろうから、御堂筋の江坂とか、阪急千里線の豊津あたりちゃうかなということになった。

 また、この歌がおもしろいのは、わたしとあなたの関係をいかようにも読めてしまう点である。

 ”最終に間に合ったよ。0時ちょい前にそっち(新大阪駅)に着くよ”としか歌詞に説明がないので、私は何に乗って何時に新大阪駅に着いたのか?がはっきりしない。午前0時なんだとしても新幹線?サンダーバード?JR京都線?の終電かもしれず、午後0時だとしたら幼稚園とか老人ホームの送迎バスや市バスの最終便とか、病院の受付の最終時間でもありえる。

 「東京タワーだってあなたと見る通天閣にはかなわへんよ」という歌詞も「わたし」が今、東京圏に住んでいることを意味するとは限らない。日本一を参照するただの例えかもしれず、どこか地方に住んでいて東京圏の会社への転職を考えているともとれる。

 さらに、「あなた」は車が運転できる年齢なので18歳以上であること以外、わたしとあなたの年齢、性別も特定できない。わたしは「大阪のおばちゃんと呼ばれたいん」だとしても生物学的な女性だとも限らない。

 となると

 東京の実家に住む30歳前後の女性である「わたし」が遠距離恋愛中の大阪北摂在住の彼の「あなた」に最終新幹線に乗って会いにいく

 というのは、ありえる解釈の一つであって、

 いろいろあって独り身になったシルバー世代山科在住の「わたし」が、病院の最終診察のあと、JR京都線にのっておなじく独り身なって北摂に住む高校のころ付き合っていて最近同窓会でやけぼっくいに火が付いた「あなた」に会いに行く。

 両親が離婚して、片方の親と西宮にすむ4歳くらいの「わたし」が、土曜日の昼に保育園の半ドンのあとに、JRに乗って江坂に住むもう一方の親に会いにいく。

 いろいろあって独り身になった敦賀の老人ホーム在住の「わたし」が、土曜日の昼に最終送迎バス+サンダーバードに乗って北摂に住む娘か息子に会いに行く。

 など何でもありえそうである。また、歌詞が微妙な大阪弁であるというコンテキストを加味すると、より多彩な設定がありえるだろう。

 シチュエーションはさまざまでもあなたと一緒に大阪で暮らしたい、とおもう気持ちは同じで、それが、大阪にすんでいることにちょっと自信をなくしつつある大阪人の心にしみちゃうんですかね。


2024年8月14日水曜日

すべての人は2種類に分けられる。阪急電車の車番に誕生日がある人と、ない人だ。

 すべてのほにゃららは2種類に分けられる。というのは、たしか、村上春樹の「スプートニクの恋人」を読んだ知人が言った、「すべての女は2種類に分けられる。いなくなる女といなくならない女だ」という箴言にもとづきます。

阪急電車のすべての電車は、4桁の車番をもっています。1103という車番を11月3日に対応させると、自分の誕生日に対応する車番を持つ阪急電車の車両がある(マイ誕生日車両♡)幸運な人が生まれます。ながらく、誕生日に対応しうる車番が存在しなかったのですが、2013年11月に2代目1000系がデビューし、ついに、2013年12月25日に宝塚線に

梅田側 1001 1501 1601 1051 1151 1551 1651 1101

という車番を持つ8両編成が登場することで、10月1日と11月1日生まれの人に、マイ誕生日車両がうまれました。その後、1000系の投入が続き、2021年6月17日に

梅田側 1019 1519 1619 1069 1169 1569 1669 1119

が投入されて、10月1日から19日、11月1日から19日まで対応する車両が登場しました。それ以降新規の1000系車両の投入が行われなくなり、昨日2000系が登場したことで、これ以上の1000系の増備はないと思われます。

誕生日が10月1日から19日および11月1日から19日である10%強のみなさんは、マイ誕生日車両とのツーショット写真などをとりつつ、その幸運をかみしめましょう。ちなみに私はすでにツーショット写真をとりました。

11月11日生まれの人はさらに素晴らしいことに、毎年11時11日の11時11分梅田、あるいは三宮初の神戸線各駅停車にはなぜか、三宮側1111の編成が割り当てるポッキーの日となっており、出発時のホームは謎の盛り上がりで誕生日を祝ってもらえます。

2024年7月15日月曜日

成熟の喪失 庵野秀明と“父”の崩壊

「成熟の喪失 庵野秀明と“父”の崩壊」(佐々木敦、朝日親書)を読んだ。

著者の佐々木氏は、「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」をみて、江藤淳の有名な「成熟と喪失 “母”の崩壊」を思い出し、このオチでしかありえないのかと思ったらしい。

私は、実は、エヴァはテレビ版の録画を1995年末に友人に借りてまとめてみて、それ以降、一切手を出していない。シン・ゴジラとシン・ウルトラマンは見たけど、シン・仮面ライダーは見れなかった。あと、1967年に書かれた「成熟と喪失 “母”の崩壊」も読んでない。ので、佐々木氏による解説は、非常にためになった。

「成熟と喪失」とは、男の子が一人前の大人になるには、母(とか妻とか故郷とかそういういう感じのもの全部)に拒まれて喪失し、喪失感の空洞のなかに湧いてくる「悪」??をひきうけることでしか、成熟できないという論考であったらしい。

一方、「新世紀エヴァンゲリオン」とは、碇 ユイを喪失した、碇ゲンドウがユイと再開するために人類補完計画を進行させ、14歳の息子、碇シンジをシトとの戦いに巻きこむ。碇シンジは責任を取りたくないのでやる気は全くないまま、いやいや付き合わされる。「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」のオチとは、碇ゲンドウが人類補完計画とユイとの再会を断念し、碇シンジに謝罪をする。碇シンジも言挙げして成熟して真希波マリをゲットし、元気よく駆け出して終わる。と説明される。

碇ゲンドウの断念が、成熟の放棄あるいは喪失なのか、映画を見てないのでよくわからないが(成熟そのもののようにも聞こえるのだが)、佐々木氏は、そこから、母も父も崩壊し、成熟して大人になるという考え方そのものが放棄されたのが現在の日本の風景である。と言いたいようである。

1つ目の感想は、これらすべては「俺って大人?成熟ってどうやってするの?成熟って何?」という自問自答の中にあるという点である。一方、多くの方は実感しているいと思うが、大人がいて、そこに子供ができるのではなく、子供という最大の他者という存在がどかんとやってくると、そこに大人が生まれるのである。先生/生徒もしかりである。大人は子供を前にしてどうしていいのかわからず、おろおろしつつ、自分が子供のころに大人だとおもっていた先人たちも実は同じだったんだなということに気づくことになる。

2つ目の感想は、「母も父も崩壊している家族」の話のレディースコミック版は、吉田秋生の「海街diary」である。主人公3姉妹の父も母も、親としての役割をだいぶ前に放棄している。また、あとから家族に加わる、異母妹のすずちゃんは、これまた母も父も崩壊している家族で、大人の役をやらされていた中学1年生として登場する。父の葬式ですずちゃんに喪主挨拶をやらせようとする母に対して、参列していた長女は幸は「おとなのすべきことを子供に肩がわりさせてはいけないと思います. 子供であることを奪われた子供ほど哀しいものはありません」という。3姉妹と鎌倉で暮らすことになったすずちゃんは、いったん子供になり、それからまた正しく大人になるという手順を踏む。お父さん以外だれも死なない。。

3つ目の感想は、そうこうしていたら、同じく吉田秋生の「櫻の園」を思い出した。主人公の女の子の一人、敦子は(高校3年?)は、結婚を控えた10歳離れた姉が語る高校生の時の思い出話を聞きながら、10年後の自分は、今の自分を、きっとこのように見るのだろうと、大人になった自分のシミュレーションをしていた。という話を、20年くらい前に知り合いのお姉さんとしながら、「女の人ってすごいですよね」、とコメントしたところ、「そうなのよ、女の子ってすごく大人なのよ、高校のころの男子が想像する女の子なんて、どこにもいないのよ。」と言っていたのである。崩壊も何も、そんな母はそもそも存在しないらしい。



2024年7月10日水曜日

信長の野望・全国版の音楽

50代以上のおじさんおばさんは、子供のころ「信長の野望・全国版」に青春の時間を吸い取られた人も多くいたと思われる。ファミコン版のカセットが9800円とめっちゃ高価だったわりには、グラフィックがショボく、持ってるだけでそこがまた、かっこよかったのであります。またPC8801などのPC版は、そもそもPCを持っている人は極めて希少だったため、「信長の野望・全国版」が動いているのは広島の紙屋町の「ダイイチ」のPC売り場だけだったように思う(中学生のころ通ってった)。

この「信長の野望・全国版」の忘れられない記憶として、音楽がある。とくに戦場の音楽がすごくかっこよく、「信長の野望・全国版」をもっている友達の家で、なにしろ戦争中短い曲が延々と繰り返されるので、すっかり頭にこびりついてしまい、今でも全フレーズ思い出せるのであります。そのようなファミコン音楽はあまりありません。

その後、1998年ころ片岡仁左衛門がでていたNTTの「情報の旅人編」(そうだ、人間がマルチメディアなんだ、っていうやつ)の音楽のあまりのカッコよさに、雑誌でしらべたところ、「菅野よう子」という人が作曲者であるとわかりました。菅野よう子さんはその後、アニメ、CMなどいろんなろころで大活躍してます(復興ソングの「花は咲く」も作曲)。

で、昨日何の気なしに調べていたら、あの、「信長の野望・全国版」の音楽が菅野よう子さんの最初期の仕事(22歳ころ)であることが判明。おどろきました。頭にこびりついている音楽の両方が、同じ人の曲であったとは。

ゴーイング・ゼロ

ゴーイング・ゼロ  (アンソニー・ マクカーテン、小学館文庫)を読んだ。週刊文春の新刊紹介を見て面白そうだったので暇な時間に読んでみました。FacebookとGoogleを足して2で割ったような仮想のテックジャイアント企業が、手持ちの個人情報収集網の有用性をテストするために、10人の被験者を集めて「30日間鬼ごっこ」をする。というお話。個人に紐づいたカードで支払いをしたり、自分の口座から現金を引き出したり、スマホの電源を入れたりすれば一発で位置ばれし、監視カメラ+個人識別AI+ドローンでどこまでも追いかけてしまえる。さらに、FacebookやらGoogleやらXやらの活動記録から、個人の思考パターンが推測され、どこに隠れたりしそうか、まで先読みされるたりもするのである。

全員捕まえられるとCIAとの契約が、、とか、主人公の旦那さんが、、とか、実は協力者がとか、大どんでん返しポイントも多く、映画化とかされそうな話であるが(著者はもともと映画『ボヘミアン・ラプソディ』などの脚本家らしい)、「ジャッカルの日」みたいな、もうちょっとプロ対プロの冷酷かつロジカルな技の繰り広げあいを期待していたので、主人公の個人的な動機にもとづく云々、、というのがイマイチでした。