2024年9月1日日曜日

大阪LOVER 読解

 ドリカムが2007年に発表した「大阪LOVER」は「私と離れて大阪に住むあなたに会いに行っても、なかなか一緒に住もうと言いだしてくれずにやきもきしている」わたしの歌である。大阪界隈でFMを聴いていると、この曲を年に1回くらいの頻度で聞いているように思う。なにか大阪人の心にしみるものがあるのだろう。

 あるときこの歌をラジオで聞きながら、では新大阪駅まで「むかえに来てくれたあなた」はどこに住んでいるのかという話となり、どうも新大阪駅から車に乗って御堂筋(梅田より北では新御堂筋)の渋滞に引っ掛かるってことは、北か南のどちらかだろう。明日は「万博公園の太陽の塔」を見に行きたいと言い出す、ってことは太陽の塔になじみのある北摂地区とくに吹田市だから、北。車を持てる独身単身者が住みそうな場所って言ったら、駅チカで生活に便利なところだろうから、御堂筋の江坂とか、阪急千里線の豊津あたりちゃうかなということになった。

 また、この歌がおもしろいのは、わたしとあなたの関係をいかようにも読めてしまう点である。

 ”最終に間に合ったよ。0時ちょい前にそっち(新大阪駅)に着くよ”としか歌詞に説明がないので、私は何に乗って何時に新大阪駅に着いたのか?がはっきりしない。午前0時なんだとしても新幹線?サンダーバード?JR京都線?の終電かもしれず、午後0時だとしたら幼稚園とか老人ホームの送迎バスや市バスの最終便とか、病院の受付の最終時間でもありえる。

 「東京タワーだってあなたと見る通天閣にはかなわへんよ」という歌詞も「わたし」が今、東京圏に住んでいることを意味するとは限らない。日本一を参照するただの例えかもしれず、どこか地方に住んでいて東京圏の会社への転職を考えているともとれる。

 さらに、「あなた」は車が運転できる年齢なので18歳以上であること以外、わたしとあなたの年齢、性別も特定できない。わたしは「大阪のおばちゃんと呼ばれたいん」だとしても生物学的な女性だとも限らない。

 となると

 東京の実家に住む30歳前後の女性である「わたし」が遠距離恋愛中の大阪北摂在住の彼の「あなた」に最終新幹線に乗って会いにいく

 というのは、ありえる解釈の一つであって、

 いろいろあって独り身になったシルバー世代山科在住の「わたし」が、病院の最終診察のあと、JR京都線にのっておなじく独り身なって北摂に住む高校のころ付き合っていて最近同窓会でやけぼっくいに火が付いた「あなた」に会いに行く。

 両親が離婚して、片方の親と西宮にすむ4歳くらいの「わたし」が、土曜日の昼に保育園の半ドンのあとに、JRに乗って江坂に住むもう一方の親に会いにいく。

 いろいろあって独り身になった敦賀の老人ホーム在住の「わたし」が、土曜日の昼に最終送迎バス+サンダーバードに乗って北摂に住む娘か息子に会いに行く。

 など何でもありえそうである。また、歌詞が微妙な大阪弁であるというコンテキストを加味すると、より多彩な設定がありえるだろう。

 シチュエーションはさまざまでもあなたと一緒に大阪で暮らしたい、とおもう気持ちは同じで、それが、大阪にすんでいることにちょっと自信をなくしつつある大阪人の心にしみちゃうんですかね。


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