章 | 書き出し | 年月日 | 年齢 | コメント | 要約 | 鍵となる記述 | 年代推定情報 |
26 | 僕が三番目に寝た女の子について話す。 | 1963年8月 | 14歳 | | 3番目の女の子の14歳の時の写真の話。天の啓示 | なぜ彼女が死んだのかは誰にもわからない。彼女自身にわかっていたのかどうかさえ怪しいものだ、と僕は思う。 | 僕は彼女の写真を1枚だけ持っている。それは1963年8月となっている。ケネディー大統領が頭を撃ち抜かれた年だ。 |
7 | 小さい頃、僕はひどく無口な少年だった。 | 1963年の7月 | 13-14歳 | 僕と鼠の人格分離 | 無口だった僕が、精神科医に通って急に話すようになった話 | 表現し、伝達することがなくなった時、文明は終わる、パチンOFF | 7月の半ばにしゃべり終えると40度の熱を出して三日間学校を休んだ |
12 | | 1965年 | 16歳 | | クラスの女の子からビーチボーイズのLPを貸してもらう | | そういえば5年前にクラスの女の子にそんなレコードを借りたことがあるな |
30 | かつて誰もがクールに生きたいと考える時代があった。 | 1966年ころ | 17歳 | 僕と鼠の人格分離 | 思うことの半分しか口に出すまいと決心した 半分しか語れていないことの警告が行われる。 | そしてある日、僕は自分が思っていることの半分しか語ることのできない人間になっていることを発見した。 | 高校の終わりころ僕は心に思うことの半分しか口に出すまいと決心した。理由は忘れたが、その思い付きを何年かにわたって僕は実行した。 |
19 | | 1966-1967 夏ころ | 17-18歳 | | 一人目の女の子と付き合って別れる。 | 一人目は17歳、高校を卒業してすぐわかれる(1966-1967 夏ころ)。 | |
4 | 僕が鼠と出会ったの3年前の春のことだった。 | 1967年の春 | 18歳 | 浪人中 | 鼠とのなれそめ、フィアット500で事故、車の上でタバコを吸う。 | | |
25 | 鼠の好物は焼き立てのホットケーキである。 | 1967年の5月 | 18歳 | 出会ってから5月に神戸にいたのは1967のみ | 過去の回想?僕が鼠の家を初めて訪れたときの話 | | 彼は5月のやわらかな日差しの下にテーブルを持ち出して、 |
28 | 街について話す。 | 1968年4/1 | 19歳 | 町を離れた | 芦屋について、鼠の父親が裕福になった経緯。バス運転手の息子と友達になった話。 | この街を離れた時、心の底からホッとした。 | |
19 | | 1968年10月21日 | 19歳 | | 二人目の女の子との出会い | 二人目は新宿駅であったヒッピーの女の子 新宿騒乱は、1968年(昭和43年)10月21日に | |
5 | | 1969 夏ころ | | | このころ鼠は最後の読書 | | 鼠「この前最後に本を読んだのは去年の夏だったよ」 |
23 | 僕が三番目に寝た女の子は、僕のペニスのことを「あなたのレーゾン・デートゥル」と呼んだ。☆僕は以前、人間の存在理由をテーマにした短かい小説を書こうとしたことがある。 | 1969 夏ころ | 21歳 | | このころ僕は人間の存在理由をテーマにした短い小説を書こうとして記録をする衝動に駆られる。 | | 約8か月間、僕はその衝動に追い回された。当時の記録によれば、1969年の8月15日から翌年の4月3日までの間に、僕は358回の講義に出席し、54回のセックスを行い、6921本の煙草を吸ったことになる。そんなわけで、彼女の死を知らされた時、僕は6922本めの煙草を吸っていた。 |
19 | 話せば長いことだが、僕は21歳になる。 | 1969年8月15日 | 21歳 | 1970年8月に21歳とすると順調にいけば大学4回生のハズ。浪人をしている模様。 | 三人目女のことを出会った日 | 三人目の相手は大学の図書館で(1969年の8月15日)知り合った仏文科の女子大生だったが、彼女は翌年1970の春休みにテニス・コートの脇にあるみすぼらしい雑木林の中で首を吊って死んだ。 | |
34 | 僕は時折嘘をつく。 | 1969年の秋 | 21歳 | 鼠ではなく、僕が答えたことを非難しているのではないか? | 彼女から「嘘つき!」と言われた経緯が語られる。子供は何人ほしい?から妊娠説がある。一つ着いた嘘とは何かが論争となっている。 | 「ねえ、私を愛してる?」 「もちろん。」 「結婚したい?」 「今、すぐに?」 「いつか…..もっと先によ。」 「もちろん結婚したい。」 「でも私が訊ねるまでそんなこと一言だって言わなかったわ。」 「言い忘れてたんだ。」 「…子供は何人欲しい?」 「3人」 「男?女?」 「女が2人に男が1人」
彼女はコーヒーで口の中のパンを嚥み下してからじっと僕の顔を見た。
「嘘つき!」
と彼女は言った。
しかし彼女は間違っている。僕はひとつしか嘘をつかなかった。 | 最後に嘘をついたのは去年のことだ。去年の秋、僕と僕のガールフレンドは裸でベットの中に潜り込んでいた。 |
19 | | 1970年3月21日ころ | 21歳 | 春休み中、見つかった2週間前 | 3人目の彼女の自殺 | | 彼女は翌年1970の春休みにテニス・コートの脇にあるみすぼらしい雑木林の中で首を吊って死んだ。 彼女の死体は新学期が始まるまで誰にも気づかれず、まるまる二週間風に吹かれてぶら下がっていた |
23 | 僕が三番目に寝た女の子は、僕のペニスのことを「あなたのレーゾン・デートゥル」と呼んだ。☆僕は以前、人間の存在理由をテーマにした短かい小説を書こうとしたことがある。 | 1970年4月4日 | 21歳 | 新学期が始まっている。 | 3人目の彼女の自殺を知らされる | | 約8か月間、僕はその衝動に追い回された。当時の記録によれば、1969年の8月15日から翌年の4月3日までの間に、僕は358回の講義に出席し、54回のセックスを行い、6921本の煙草を吸ったことになる。そんなわけで、彼女の死を知らされた時、僕は6922本めの煙草を吸っていた。 |
21 | 三人目のガールフレンドが死んだ半月後、僕はミシュレの「魔女(実在の本)」を読んでいた。 | 1970年4月4日ころ | 21歳 | 死んだ日から推定 | | 私の正義はあまりにあまねきため | 三人目のガールフレンドが死んだ半月後、 |
2 | この話は1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終わる。 | | | | | | |
11 | ON やあこんにちは元気かい? | 1970年 8/8 19:00 | 21歳 | 1970年のカレンダーより | ポップステレフォンリクエスト 37土曜の夜 | | ON, OFF ねえ野球はどうなっている? |
12 | 7時15分に電話のベルが鳴った | 1970年 8/8 19:15 | 21歳 | | 「ポップステレフォンリクエスト」から19時15分に電話「カリフォルニアガールズ」のリクエストがあった。 | もし当たれば君に特製のTシャツが送られることになっているんだ | そういえば5年前にクラスの女の子にそんなレコードを借りたことがあるな |
13 | 「カリフォルニアガールズ」 | 1970年 8/8 19:15 | 21歳 | | 歌詞のみ この時間にラジオに流れた。 | 素敵な女の子がみんなカリフォルニアガールズならね。 | |
3 | 金持ちなんで・みんな・糞くらえさ | 1970年 8/8 20:00以降??? | 21歳 | 18日間に詰め込むとしたらここ。あるいはそれ以前の回想か? | ジェイズバーで鼠が金持ちを批判する。 | でも結局みんな死ぬ | |
5 | 鼠は恐ろしく本を読まない | 1970年 8/8 20:00以降??? あるいはそれ以前の回想 | 21歳 | 18日間に詰め込むとしたらここ。あるいはそれ以前の回想か? | 鼠が各小説船が沈没女が泳ぐ、鼠が浮かぶ両方とも救助される、再会後ビールを飲む | | 鼠「この前最後に本を読んだのは去年の夏だったよ」 |
6 | 鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンの無いことと、それから一人も人が死なないことだ。放って置いても人は死ぬし、女と寝る。 | 1970年 8/8に話していた話のその後。 | 21歳 | 挿入位置と時系列的に、左手が4本指の女が受け取った葉書の内容ではないか? | (5)の小説で、鼠とその女が再会後ビールを飲んでいる内容の小説の断片 | ねえ、人間は生まれつき不公平に作られている。誰の言葉?ジョンFケネディー | 鼠3年ぶりに無性にタバコが吸いたくなった。 |
9 | | 1970年 8/9夜 | 21歳 | (8)の前日の夜 | 左手が4本指の女はこの日に葉書を受け取り、ジェイズバーで飲みつぶれる。僕はジェイズバーで左手が4本指の女に出会って家まで連れて行き、一泊 | | |
8 | 喉の渇きのためだろう、僕が目覚めたのは朝の6時前だった | 1970年 8/10 6:00 | 21歳 | 8/11もあり得る。 | 左手が4本指の女の家で目覚める。 | 第一に女の名前を僕が知っていたのかどうかさえ思い出せない | |
9 | 彼女が目覚めるまでに、それからざっと3時間ばかりかかった。 | 1970年 8/10 9:00 | 21歳 | | 左手が4本指の女に昨夜の出来事を説明する。 | でもね、電話に出たのは女だった。奴はそういったタイプじゃなかった。葉書が1枚出てきた。昨日どんな話をしたの?ジョンFケネディー | (前日の夜)僕は午後じゅうプールで泳いで、家に帰って昼寝をしてから食事を済ませた。8時過ぎたね。それから車に乗って散歩に出かけたんだ。 |
10 | ひどく暑い夜だった。半熟卵ができるほどの暑さだ。 | 1970年 8/10 夜 | 21歳 | | ジェイズバーで鼠と待ち合わせるが来ない。電話を掛ける女が出ている。 | みんなの楽しい合言葉 MIC KEY MOUSE | ビールを飲みながら野球中継をながめることとした。暗い夜の海を眺めながらなんとか曲名を思い出そうとしていた。 |
14 | Tシャツは3日目の午後に郵便で送られてきた | 1970年 8/10or 11 午後 | 21歳 | 8/8の3日後なら11日、全体の3日目なら10日 | | | |
15 | 翌日の朝、僕は真新しいチクチクするTシャツを着てしばらく港の辺りをあてもなく散歩してから、目についた小さなレコード店のドアを開けた。 | 1970年 8/11 or 12 午前 | 21歳 | (14)の翌日 | 左手が4本指の女が働くレコード店に行く。3枚のレコードを買う。グールドのベートーベンP'コン、ビーチボーイズ、マイルスデービス | 前にも言ったと思うけどあなたって最低よ | |
16 | 僕がジェイズバーに入った時、鼠はカウンターに肘をついて顔をしかめながら電話帳ほどもあるヘンリージェームスの恐ろしく長い小説を読んでいた。 | 1970年 8/11 or 12 夜 | 21歳 | 鼠の誕生日は9月 | 鼠にグールドのベートーベンP'コンを誕生日プレゼントとして渡す。 | でもね、ずいぶん本を読んだよ、この間あんたと話してからさ。(5)のことだろう | 誕生日プレゼントさ、でも来月だぜ |
17 | 三日間僕は彼女の電話番号を探し続けた。僕にビーチボーイズのLPを課してくれた女の子だ | 1970年 8月9, 10, 11か? | 21歳 | 13,14,15はお盆休みではないだろうか? | 一日目高校に行く、2日目電話する。3日目短大に行く。 | | 今年の3月に退学届けを出したと教えてくれた。理由は病気の療養です。彼女は春に部屋を出たっきり行き先を知らない。 |
37 | やあ元気かい_こちらはラジオNEB ポップステレフォンリクエスト。 | 1970年 8/15(土曜)19:00 | 21歳 | 他の土曜日8/22, 29だった可能性もあり。この日だと、左手が4本指の女も聴いていた可能性あり | 私は3年間入院中の17歳の女の子の手紙が紹介される。お姉さんは彼女を看病するために大学を辞めた。DJは、僕は・君たちが・好きだ。という。 | | また土曜の夜がやってきた。 |
18 | | 1970年 8/17 | 21歳 | (18)の前日以前、 | 左手が4本指の女がジェイズ・バーに行く。おそらく鼠から僕の電話番号を教わる。 | | |
18 | 電話のベルが鳴った。 | 1970年 8/18 | 21歳 | (22)の前日、(16)の1週間後 | 左手が4本指の女から電話、8時にジェイズ・バーで会う約束をする。 | ジェイズ・バーで訊ねてみたの。店の人があなたのお友達に訊ねてくれたわ。背の高いちょっと変ったよ人。モリエールを読んでたわ。 | 一週間もこないのは体の具合が悪いんじゃないかって |
20 | 彼女はジェイズ・バーのカウンターに居心地悪そうに腰掛け、 | 1970年 8/18 20:00 | 21歳 | | 左手が4本指の女とジェイズ・バーで身の上話 | 匂いよ。金持ちが金持ちをかぎ分けられるように、貧乏な人間は貧乏な人間をかぎ分けることができるのよ | |
22 | 電話のベルが鳴った。 | 1970年 8/18 夜 | 21歳 | (33)の一週間前 | ビーフシチューを食べに左手が4本指の女の家に行く。帰り道初めてデートをした女の子のことを思い出す。エルビスプレスリーの映画の主題歌。宛先不明。受取人不明。 | 何故いつも尋ねられるまで何も言わないの?さあね。癖なんだよ。いつも肝心なことだけ言い忘れる。 | 昨日は楽しかったわ、久しぶりにね。明日から旅行するの。1週間ほどね |
24 | その夜、鼠は一滴もビールを飲まなかった。これは決して良い兆候ではない | 1970年 8/18 夜? | 21歳 | 8/19に入院する左手が4本指の女を捕まえるには、この日に依頼しないと間に合わない。 | ジェイズバーで鼠が僕に女に会うことを依頼する | 人に会ってほしいんだ | 明日の2時 |
27 | 僕は嫌な夢を見ていた。 | 1970年 8/19 朝から14:00 | 21歳 | おそらく、手術をやめるよう説得するのを止めた。 | 悪夢を見る。兄の彼女のことを考える。ネクタイを締めて、出かける。2時にジェイズバーの前に車を付けたが、鼠に止めたよと言われる。そのあと動物園に行く。 | 僕たち兄弟はよく似ていると彼女は言う | 二年前兄は、、、アメリカに行ってしまった。 |
| | | 21歳 | | | | |
37 | やあ元気かい_こちらはラジオNEB ポップステレフォンリクエスト。 | 1970年 8/22(土曜)19:00 | 21歳 | 他の土曜日8/15, 29だった可能性もあり。お姉さんは5年前にビーチボーイズのLPを貸してくれたクラスの女の子 | 私は3年間入院中の17歳の女の子の手紙が紹介される。お姉さんは彼女を看病するために大学を辞めた。DJは、僕は・君たちが・好きだ。という。 | | また土曜の夜がやってきた。 |
29 | 一週間ばかり鼠の調子はひどく悪かった。 | 1970年 8/23 | 21歳 | (31)の前日ではないといけない。一番遅い可能日 | ジェイズバのマスターから僕に、鼠の相談事を聞き出すよう促される。 | しづらいのさ。馬鹿にされたような気がしてね。そしてうんざりした気分でもう一本ビールを飲んだ | |
31 | 翌日僕は鼠を誘って山の手にあるほてるのプールに出かけた | 1970年 8/24 | 21歳 | (33)よりも前の日ではないといけない。一番遅い可能日 | 山の手のプールに鼠と出かける。鼠から、自分が金持ちであることから逃げたくなること、大学を辞めたこと、小説を書き始めたこと、蝉のために書き始めたことを聴く。その後女の子のことを聴く。世の中にはどうしようもないこともあるんだと虫歯の例えを聴く。強い人間なんでいやしない。強いふりをできる人間がいるだけさ。あんたは本当にそう信じている? | どんな人間でもいつかは死ぬ。そういうことさ。 | 夕方になって日が陰り始める頃、僕たちはプールから出て、、冷たいビールを飲んだ |
33 | 電話のベルが鳴った。 | 1970年 8/25 | 21歳 | 8/26以前だとこの日が一番遅い可能日 | 左手が4本指の女から電話,YMCAに5時に会う。旅行は嘘だったことを告げられる。 | | |
35 | 僕たちは港の近くにある小さなレストランに入り、簡単な食事を済ませてからブラディー・マリーとバーボンを注文した。 | 1970年 8/25 | 21歳 | | 左手が4本指の女の子から、本当のことを聴きたいか聞かれるが、話をはぐらかす。人が死ぬのはなぜか聞かれ、宇宙の進化の一部と答える。店を出て歩きながらお互いの誕生日を教えあう。人気のない突堤で腰を下ろし、彼女はみんな大嫌いよと言って泣く。 | | 僕は12月24日生まれ、左手が4本指の女は1月10日生まれ。 |
36 | 10分かけて彼女のアパートまで歩いた。 | 1970年 8/25 | 21歳 | | 彼女のアパートまで歩いていき、朝まで一緒にいてほしいと誘われる。セックスしたいか聞かれたり、堕胎したことを伝えられる。また、相手の男の顔を思い出せないという。抱き合った彼女は最後「お母さん」とつぶやいて眠る。 | 手術したばかりなのよ、子供?そう。 | |
38 | 東京に帰る日の夕方、僕はスーツケースを抱えたまま「ジェイズ・バー」に顔を出した。 | 1970年 8/26 | 21歳 | この日付は確定 | 「ジェイズ・バー」に別れを告げに行き、夜行バスで東京に帰る。 | あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれをとらえることはできない。 | 8月26日という店のカレンダーの下にはこんな格言がかかれていた。 |
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1 | 完璧な文章は存在しない | 1978年 | 29歳 | 1963年の15年後 | なぜ書くのかの説明 29歳の誕生日を迎えて書き始めた。 | | 物差しで測り始めたのはケネディー大統領の死んだ(1963年11月22日金曜日)15年前 20代最後の年を迎えた |
32 | デレク・ハートフィールドはその膨大な作品の量にもかかわらず、人生や夢や愛について直接語ることのできる極めてまれな作家であった。 | 1978年 | 29歳 | | 火星で緯度に落ち、15億年タイムスリップする話。若者は最後自殺する。 | | |
39 | これで僕の話は終わるのだが、もちろん後日談はある。 | 1978年 9月から12月の間 | 29歳 | | 僕は結婚して東京に住んでいる。鼠は小説を書き続け毎年クリスマスに送ってくる。左手が4本指の女の子とは2度と会えなかった。カリフォルニア・ガールズのレコードはまだ僕のレコード棚の片隅にある。 | | 僕は29歳(12月生まれ)になり、鼠は30歳(9月生まれ)になった。 |
40 | 最後にもう一度デレク・ハートフィールドについて語ろう。 | 1978年 | 29歳 | | デレク・ハートフィールドの人生が短く語られる。 | 昼の光に夜の闇の深さがわかるものか | |
あとがきにかえて | もしデレク・ハートフィールドという作家に出会わなければ小説なんて書かなかったろう、とまで言うつもりはない。 | 1979年5月 | 30歳 | | デレク・ハートフィールドの墓参りの経緯が語られる。 | この小説はそういった場所から始まった。そしてどこにたどり着いたのかは僕にもわからない。 | 1979年5月 |
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