2025年10月27日月曜日

Marble Hall Murders

 Marble Hall Murders (Anthony Horowitz)を読んた。5/27にKindle版を購入、積読(死語?)していたが、最近続いた出張の同中に読み切った。Atticus Pundシリーズの第3弾である。第1作のMagpie murdersで、Susanは人気Atticus Pundシリーズの担当編集者であったが、作中でその作者のAlan Conwayが殺され、勤めていた出版社もなくなってしまう。第二作 Moonflower Murders ではSusanはパートナーとギリシャのクレタ島でホテルを経営しているという設定だったが、4年前に読んだときには「Susan+クレタの設定を使い切ってしまったようにも思うのだが、本シリーズの次回作は何が起きるのだろうか。」と心配していた。本作では、あっさり、クレタ島の生活を捨て、ロンドンに帰ってきて一人暮らしを始めたところから話が始まる(ご都合主義だわ)。稼ぐためにフリーランスの仕事を探していたところ、Clover Leafという出版社から、「Atticus Pundの出版権を買って別の著者で続編を出すから、その編集をやってほしい。著者は有名な児童文学女性作家の孫なんだけど」という話が来て原稿を渡される。今回の作中作はこの続編原稿である。この作中作に、病死死とされている児童文学女性作家の死の真相(実は殺人でその犯人)が隠されているという設定で、大いに盛り上がった。

Susanは、いわゆる言いたいことを言わないと気が済まないキャラで、知りたいという欲望に忠実にあちこちに出かけては余計なことを質問してケンカを売りまくって嫌われる。そして、誰かの陰謀にハメられてどんどん追い詰められ、途中死にかけるも、イケメン男子に助けてもらうというお約束はいつも通りだったので、まだ読んでない人は安心してください。特に本作は設定にご都合主義が多いので、このSusanのふるまいに多くの人はイライラするのはしょうがなく、言いたいことを言う女はその報いを受け、結局男に助けられる、という話にはミソジニーが見え隠れするけど、よくよく考えると、Hawthorne & Horowitz シリーズもそうなんだなとも思った。



LLM対決!阪急電車オタはPerplexityとGemini

阪急電車の主要3路線、神戸線、宝塚線、京都線のうち、京都線にだけ7両編成の電車が走っている。理由の一つは、京都河原町駅2号線も7両編成までの長さしかないことである(朝夕の普通+休日の雅洛用に使っている)。私も10年くらいこれが理由だと思っていた。しかしよくよく考えてみると、世の中には京急九品仏駅で行われているドアカットという必殺技があり、絶対的な理由とはならない。そこで調べてみると、 正雀車庫や桂車庫に7両編成までしか入らないレーンが存在することが最大の理由であるらしい。なるほどである。

そこで、無料版のLLMに「阪急電車には京都線にだけ7両編成があるのはなぜでしょうか?」と聞いてみた。

Gemini 2.5 flashとPerplexityが、ほぼ正解。ただし2つの理由の軽重がないので95点

Claude Sonnet 4.5はホームの制約を挙げているが、理由がおかしいので20点

ChatGPT 4.0、Grok、DeepSeekは0点

となり、阪急オタはGemini 2.5 flashとPerplexityであることが判明した。

また、Perplexityは根拠となるWebページを示してくれており、ウラを取りながら調べ物をするには便利そう。


実施日 2026.10.27日


Gemini 2.5 flash

阪急京都線に7両編成が存在する主な理由は、以下の2点に起因しています。

  1. 京都河原町駅2号線のホーム有効長が7両編成まで

    • 京都河原町駅は一部のホームが7両編成までの長さとなっています。特に2号線ホームを有効活用して輸送力を確保するためには、7両編成の車両が必要となります。ラッシュ時などに多くの本数を運行するためにこの2号線も使用されます。

  2. 正雀車庫や桂車庫の収容能力

    • 京都線の車両が使用する車庫(正雀車庫、桂車庫など)のスペースが限られており、電車の運行本数増加や長編成化が進む中で、限られたスペースを最大限有効活用するために、8両編成だけでなく7両編成も運用する必要があるという事情があります。

神戸線・宝塚線が基本的に8両編成で統一されているのと異なり、京都線ではこれらの制約から、現在も7両編成の車両が使用されています。


Claude Sonnet 4.5

阪急京都線に7両編成が存在する理由は、主にホーム長の制約と運用の柔軟性によるものです。

主な理由

1. 駅ホームの長さの制約

京都線の一部の駅(特に古い駅)では、8両編成に対応できるホーム長がない駅があります。そのため、すべての駅に停車できる編成として7両が必要になります。

2. 運用の効率性


ラッシュ時以外の時間帯では8両編成は過剰な輸送力となる

7両編成を使うことで、適切な輸送力の調整が可能

車両の効率的な運用とコスト削減


3. 歴史的経緯

京都線は開業が古く、当初から8両対応でホームを整備できなかった駅が残っています。神戸線や宝塚線は後から整備が進んだため、統一的に8両編成化が進みました。

神戸線・宝塚線との違い

これらの路線では、ほぼ全駅が8両編成に対応しており、運用を統一することで効率化を図っています。一方、京都線では駅の改良工事の難易度や費用の問題もあり、7両編成が残り続けています。

現在でも京都線では、準急や普通列車を中心に7両編成が活躍しています。


ChatGPT 4.0?

とても良い質問ですね!
阪急電車の「京都線(京都本線)」に7両編成が存在するのは、他の阪急線(神戸線・宝塚線)とは運転区間の事情や輸送需要のバランスが異なるためです。以下に詳しく説明します👇


🔹 1. 京都線の運転区間の特徴

阪急京都本線は
大阪梅田~河原町(京都) を結ぶ幹線で、途中の 茨木市・高槻市・長岡天神 など中規模都市を通ります。
一方で、京都線には本線のほかに

  • 千里線(北千里方面)

  • 嵐山線(桂~嵐山)
    への直通運転も行われています。

このうち 嵐山線直通列車 は、観光需要中心で輸送力をそこまで大きくする必要がなく、
しかも嵐山線のホーム有効長が7両分しかないのです。


🔹 2. 嵐山線のホーム長の制約

嵐山線の各駅(特に嵐山駅・松尾大社駅など)は、最大7両編成までしか停車できません。
そのため、京都線から直通する特急・準急(「嵐山直通特急」など)は7両で統一されています。

これが「京都線だけ7両編成がある」最大の理由です。


🔹 3. 他線(神戸線・宝塚線)との違い

神戸線や宝塚線には、

  • 嵐山線のようなホーム長が短い支線がない

  • 直通先(神戸三宮・宝塚)まで需要が高く、8両が標準
    という事情があります。
    そのため、7両編成を使う必要がありません。


🔹 4. 京都線内での7両編成の役割

7両編成は主に次の運用で見られます:

  • 観光シーズンの「嵐山直通特急」「臨時列車」

  • 通常ダイヤでも一部の桂~河原町間の列車(回送を兼ねて)

つまり、京都線の7両は「嵐山線対応用の特殊編成」という位置づけです。


✅ まとめ

項目内容
なぜ7両か?嵐山線のホーム長が7両分しかないため
他線にない理由神戸・宝塚線にはそのような支線がない
主な運用嵐山直通列車・観光シーズンの臨時特急など

もしご希望があれば、「京都線の7両編成車両(例:7300系や9300系の7連)」の編成表や運用例も紹介できますが、見てみますか?


Grok

阪急電車の京都線にだけ7両編成が存在する主な理由は、需要の偏在運用効率の最適化にあります。以下で詳しく説明します。

1. 京都線の輸送需要が特に大きい

  • 京都線は大阪(梅田)〜京都(河原町)を結ぶ主要路線で、観光客・通勤・通学の利用者が非常に多い。
  • 特に朝夕ラッシュ時には、8両編成でも混雑するため、車両数を増やして対応する必要がある。
  • しかし、全列車を8両化すると車両やホームの整備コストが膨大になるため、一部を7両編成にして柔軟に対応。

2. 他の路線との車両数の統一が難しい

  • 阪急の主力路線(神戸線・宝塚線・京都線)は基本的に8両編成で統一されています。
  • ただし、京都線ではホーム有効長の問題車両基地の制約から、7両編成が混在。
    • 例:嵐山線直通列車や、一部駅(例:高槻市駅など)のホーム長が8両対応しきれないケース。

3. 7両編成は「中間的な増強策」

  • 6両では不足、8両では過剰な時間帯・区間に対応するため、7両編成を導入
  • 特に平日昼間や土休日の観光需要に対応しやすい。

4. 他路線では7両が不要

  • 神戸線・宝塚線は8両で十分な輸送力があり、7両の必要性が低い。
  • 京都線だけが「8両では多すぎ、6両では足りない」という中間需要を抱えている。

補足:現在の7両編成の運用例

  • 京都線特急・快速急行の一部(特に昼間時間帯)
  • 嵐山線直通列車(河原町~嵐山)
  • 車両形式:主に9300系7300系のリニューアル車など

結論

京都線にだけ7両編成があるのは、観光・通勤需要が特に大きく、8両と6両の中間的な輸送力が必要だから。 他の路線では8両で十分なため、7両編成は不要です。

将来的にはホーム延伸や8両化が進む可能性もありますが、現状では京都線の「特殊需要」に対応するための措置と言えます。


DeepSeek

こんにちは!ご質問ありがとうございます。阪急電車の京都線だけに7両編成がある理由についてお答えしますね。 阪急電鉄の京都線は、京都市内やその周辺の利用者が多いため、混雑を緩和するために長い編成が必要とされています。特に、京都線は通勤・通学の利用者が多く、朝夕のラッシュ時には大量の乗客が乗車します。そのため、7両編成の車両を導入して、より多くの人を効率的に運ぶことができるようになっています。 また、京都線は他の路線と比べて運行本数や利用者数が多いため、長い編成を運行できる設備や駅のホームの長さも整っているのです。これにより、7両編成の運行が可能となっています。 要するに、京都線だけに7両編成があるのは、利用者の多さや駅の設備、運行の効率化を考慮した結果だと言えます。何か他にも気になることがあれば、遠慮なくお聞きくださいね!


Perplexity

阪急電車の京都線にだけ7両編成が残っている主な理由は、京都河原町駅2号線のホーム有効長が7両までしか対応していないことと、正雀車庫や桂車庫などの車両基地の収容能力に制限があるためです。

京都河原町駅2号線の制約

  • 京都河原町駅2号線はホームの長さが7両分しかなく、それ以上の編成は停車できません。

  • ラッシュ時などは2号線も活用して運用する必要があり、7両編成の存続が必須となります。

車庫の収容能力の問題

  • 車庫(正雀・桂)がすべて8両編成に対応しているわけではなく、7両までしか留置できない線も複数あります。

  • 土地の制約でこれ以上の拡張も難しいことから、現状維持となっています.

今後の見通し

  • 7両編成の運用は少しずつ減らしているものの、現状では京都河原町駅の設備や車庫問題が解消されない限り、完全な統一は難しい状況です.

このように、駅の構造と車両基地事情により、京都線では7両編成の電車が現役で走り続けています。


2025年10月12日日曜日

一歩前進二歩後退

 現代ビジネスの記事「【『一歩前進、二歩後退』書評】それでも批評を読みたい/書きたい人のための絓秀実入門 「不可避性」の思考」中村拓哉)を読んだ。

書き手の中村拓哉氏は1994年生まれの絓秀実読みで、「六八年の持続としての批評──絓秀実『小説的強度』を読む」とかを書いちゃう人らしい。記事の対象は、この秋に出た絓秀実の評論集『一歩前進、二歩後退』(講談社)である。一読して、うーん、面白いけどそうなんかなと思った。

この本のタイトル『一歩前進、二歩後退』は、収録している評論金井美恵子のレーニン主義」に由来している。初出は2018年の早稲田文学「金井美恵子なんかこわくない」特集号である。そこで、『一歩前進、二歩後退』の「金井美恵子のレーニン主義」も読んだ。面白いけど本当にそうなんやろかと思った。なにかがすり替わっているような気がした。

「金井美恵子のレーニン主義」では、金井美恵子とレーニンとにご縁がある傍証の一つとして、金井美恵子が1969年に発表した「深沢七郎に向って一歩前進二歩後退」という評論の存在を挙げている。

「深沢七郎に向って一歩前進二歩後退」は、深沢七郎が1956年に発表した短編小説「楢山節考」に関する評論である。また、「一歩前進二歩後退」とは、1904年のレーニンの著作のタイトルである。

そこで、「金井美恵子詩集」の「深沢七郎に向って一歩前進二歩後退」を読んだ。金井美恵子詩集を吹田市図書館かまだ所蔵してくれていて助かった。だが、「楢山節考」は読んでいないし(映画は緒形拳版を深夜映画番組で観たことがある)、レーニンの一歩前進二歩後退」も読んでいない。Wikipediaの受け売りである。

金井美恵子の本を図書館で借り出しながら思ったのは、そういえば、高校2年生の頃(1991年ころか?)、父親が買ってきていた週刊文春か週刊朝日で書評記事を読み、高校の近くにある姫路市城郭資料館の図書館で道化師の恋」を借りて読んだのが金井美恵子との出会いだったな、あれから34年もたったのかというおじさんの感慨であった。その後、目白4部作以降の長編と目白雑録は「買って」読んできたけど、それ以前の作品を1968年ころのデビュー時にまで過去にさかのぼって読んではいなかった(金井美恵子全評論は読んでないです。すいません)。

今回初めて、「深沢七郎に向って一歩前進二歩後退」を読んで感じたのは、問題は、金井美恵子がレーニン主義的であるとかないとか、そういうことではなくて、これはほぼレーニンの唯物論なのではないか。ということだった。

レーニンの唯物論は、中澤新一の「はじまりのレーニン」を通じて知るのみであるが(以下はこのブログの記事を参考にしてます)、最も印象的なエピソードは、釣りをしたときに「レーニンは勢いよく釣り糸をひきあげ、熱狂的に叫ぶ。 ああ、ドリン・ドリン! これだ、これだ」という話と、「レーニンは、ぼくらの意識の外に、未知の、無限で、底のない、そしてとてつもなく豊かな、きわめつくすことのできぬ「物質」が広がっていたことを知っていた。それがまったく別種のものとしてぼくらの思考に侵入してくる瞬間、「笑い」をひきおこすのだ(はじまりのレーニン)」という笑い=弁証法的唯物論の話である。釣りをしたことがある人なら、あのアタリがあった瞬間の感覚が引き起こす「おお!」という言葉にできない感覚を知っているだろう。何かに心を動かされた人は、言葉では語りつくせないとことん冷酷で非倫理的な何かが、どうしようもなく心を満たすことができることを知っているだろう。レーニンの革命とはこの唯物論を実践する社会を構築することであり、その正当性をまったく疑っていなかった。

1904年にレーニンが書いた「一歩前進、二歩後退」は、Wikipediaによると「ロシア社会民主労働党の第二回党大会で起こった多数派と少数派の分裂について、多数派の観点から分析し、少数派を批判した。」ものであるらしい。このとき少数派は、党員の数を増やして民主主義革命を起こし、その次に社会主義革命を起こす方針を掲げていた。その背景にはマッハ主義経験論があった。「ある経験の『要素』は、ニューロンを通過するパルスにすぎないのだ。重要なのは、それを経験に組織化する『形式』や『構造』をあきらかにすることであって、外の物質的実在について、うんぬんすることではない。マッハ主義はこのように主張する。(はじまりのレーニン)」つまり、自分たちが言葉で認識する意識の外を知るには、多数の経験を積み上げ、相談しながらコンセンサスを得つつ言葉を組織化すればよい、という、きわめて現代的な主張である。レーニンはこの考え方を退けた。まず、言葉ファーストなので、現在の言葉と価値を統御する既存の政治体制の外に出ることができない。ブルジョアのヒューマニズム的発想である。さらに、この考え方は「ドリンドリン」の要素がなく全く笑えない。

読んでないので、詳しいことはわからないのであるが、「革命を目指す前衛党が結成されて、一歩前進しつつも、その中にマッハ主義経験論に基づく少数派が生まれるのもある意味必然の二歩後退であるなあ。マッハ主義経験論には、肝心の弁証法的唯物論が見えておらずけしからん」という「一歩前進、二歩後退」なのだろう。

「深沢七郎に向って一歩前進二歩後退」にもこれとほとんど同じことが書いてあるように見える。まず金井美恵子はバッハの音楽から話を始める。「何より、バッハは切り裂かれた空間と時間であり、そのために死の予告なのだ(金井美恵子詩集p96-97)」という、なんだかわかりにくい説明ではあるが、死とは「意識の外の世界」のことを意味しており、バッハの音楽とは意識の外から侵入してくるレーニンのいう「ドリンドリン」あるいは「笑い」を同じものだと言っているのである。

「楢山節考」は、貧しい山村の掟に従い70歳になった「おりん」を息子の「辰平」が背負って楢山に連れて行き置いて帰る。という姥捨のいきさつを描いている。この作品はベストセラーとなって2度も映画化されるくらい高い評価を得ていた。一方その評価は「わたしたちは「楢山節考」が、おりんという特異な老婆(自ら進んで死におもむく型(タイプ)の人間は異様であり、近代文学のヒューマニズムの死生観とは相反するのであり、そのために世間では深沢七郎の作品を近代以前の仏教思想とか説話に結び付けて納得するほかになかったのだ(略))の姿と姥捨という残酷な風習を描きながら死について書かれた小説でありそれゆえに根源的な作品であるという読み取り方 同p104」という「おりん」を中心としたものであった。

金井はこれらの評価が、ブルジョアのヒューマニズム的な枠組みの中で行われた評価であることにいら立っている。なによりも、辰平」を見落としてしまっている点を批判する。「もう一つの根源的な視点を付け加えることによってしか「楢山節考」の深い源泉に到着することはできない。辰平とは作家なのだ」と言い切る。

辰平は村の掟に従い、母親のおりんを背負って楢山に登った。登る前におりんは「きっと雪が降るぞ」と言った。楢山におりんを置き、下山しはじめると雪が降り始めた。そこで辰平は「後ろを振り返ってはいけない。ものを言ってはいけない」という誓いを破り、おりんのもとに戻って「おっかあ。ふんとに雪が降ったなア」と叫ぶように語り掛けると、脱兎のように駆けて山を降りた。

金井はこの辰平のもとに降った雪と、それを受けておっかあ。ふんとに雪が降ったなア」という辰平の声に、バッハの音楽と同じものを見て、戦慄している。辰平は掟通り姥捨てをするのだから、いわゆるヒューマニズムにあふれた男ではない。それであっても、最後、掟を破ってまで母親に言葉を掛けないと気が済まないのである。そしてそのあと山から帰ってくる。金井は辰平が言葉を歌うように発する場所が作家が語り始める場所であり、山から帰ってくるものが、作家であると言っている。しかもそれは、これから作家として生きていこうとする金井自身の矜持あるいは、所信表明にもなっている。

「深沢七郎に向って一歩前進二歩後退」にはレーニンのレの字も出てはこない。しかし、「楢山節考」という奇跡的な作品の出現は、我々にとって一歩前進ではあるが、その読解がブルジョアヒューマニズム的な理解であるのはある意味必然の二歩後退であるなあ。ヒューマニストは辰平の声という根源的な視点が見えておらずけしからん。という意味で完璧に「一歩前進二歩後退」と同じなのではないだろうか。

絓秀実は「金井美恵子のレーニン主義」で、金井美恵子が2000年代後半から2010年代に「目白雑録」で繰り広げた、レーニンの域に達した感のある種々の批評というか批判を評価し、それが立脚する立ち位置の困難さを説明しようとしている。そもそもレーニン主義には2つのジレンマがある。一つは、「労働者は革命意識を持たず、むしろブルジョワ・イデオロギーにあこがれている。小ブルジョワは革命意識を持つが、地に足がついておらず、すぐマッハ主義的日和見主義に流れてしまう。」二つ目は、レーニン的唯物論が、その後継者を自称したスターリンもろとも批判され正当性を失った後、「レーニン的「真理」を宙吊りにしながら、レーニン的批判を継続していくことはできるのか(224頁)」である。絓秀実によれば、このジレンマを乗り越るために金井は俗悪(と言われる)なものの意味を新たに開示する手続きを、書くことのなかで始めなければならない」という戦略を採ったのであり、これは「俗悪」でしかない大衆が、「俗悪」なまま、一瞬にして知識人を凌駕して去っていくその時に、一歩前進し二歩後退しながら出発することであり、それが、革命的知識人の唯一可能な身振りなのである。(本書228頁)」と解釈され、その例として小学生の金井が衝撃を受けた、クラスの男の子が歌う「チャンチキおけさの替え歌」を挙げるのである。(しかし、ここの「一歩前進し二歩後退しながら出発する」というすり替えのレトリックは何度読んでもよくわからない)。

「金井美恵子のレーニン主義」は金井美恵子をそのデビュー時の立ち位置までさかのぼって評価しなおしており、我々、男の子にとっては画期的であった。ひょっとしたら最近ノーベル賞候補とも言われる金井美恵子の再評価にも寄与しているのかもしれない(してないか、、)。

しかし、金井美恵子からすると、楢山に上って帰ってくるのが作家であり、私だ。という矜持だけに立脚しているのであり(金井美恵子の小説群をうっとりしながら読んできた読者にとってはまったくもって異論はない)、その党派的な正しさなどはどうでもよいことであり、レーニン主義のジレンマも、「楢山に登る根性がないにも関わらず性急に正しくありたい男の子の都合」にすぎず(フン)「チャンチキおけさの替え歌」もそこに辰平の声」を聴いたと言っているだけで、前衛とか知識人とか大衆とかの理屈をを踏まえているとは思えないのである(フン)。

もちろん、絓秀実がそんなことをわかっていないはずはなく、やはり、「レーニン的「真理」を宙吊りにしながら、レーニン的批判を継続していくこと」が現在の日本の政治状況の中で性急に追及されなくてはならない課題だからこそ、あえて、金井美恵子を通じてその実現可能性を展望したかったのに違いない。

さらに、中村拓哉は書評記事の中で、絓秀実の「一歩前進、二歩後退」というレトリックを「批評はいつも一歩早いか、二歩遅いかである。」とまで変奏して見せ、「ともかく「性急(ルビ:バカ)」で「男の子(ルビ:アホ)」な私は、絓秀実を読むといつも、正気に戻されるような気がする。いや、でもやはりまだまだ「性急さ」が足りないのでは、とも。」と言ってどやって感じで、記事を締めくくる(フン)

しかし、中村拓哉の書評記事が興味深いのは、1994年生まれの批評家が絓秀実を介して革命とか前衛とかを、「かっこいい」モテ要素キーワードとして利用している点であろう。絓秀実は1974年生まれの私から見ると父親、ベビーブーマーの世代に属する評論家である。1968年ころに一瞬開きかけてあっさり閉じた革命の可能性をいつまでもうじうじと引きずらざるを得ない、つまり1968年の挫折から逃げ切ることができないという特徴を持つ。団塊の世代ジュニアの私たちが大きくなったころ、1990年代には同じくフランスで1968年の意味を考えたデリダやドゥルーズやらの仕事が、浅田彰などを通じて紹介され、(たぶんほどんど誰もきちんと読んでないし、全く意味など分かっていなかったと思うのだが、)バブルな雰囲気の中リゾームとか差延という術語がちりばめらた映画評やらも量産されるようになると、これからはよくわかんないけどポストモダンだよねー、まじめに前衛とか、闘争とか、革命とか、さすがにダサいよね、という雰囲気が漂っていた。そのころは、「現代思想」が知らないとかっこ悪いというか、青年が恰好をつけるための道具として通用した、また、活動家の現物(民青のアジ演説を中核派が15m位離れたところから双眼鏡で監視している)を大学で見れた、さらには、金井美恵子が学園祭の「美恵子の部屋」というイベントに話に来ていた最後の時代であったのではないだろうか。当時は自衛隊の海外派遣の反対闘争が活発化しており、「自衛隊派兵絶対阻止舞鶴現地集会!人民の力を結集して断固阻止するぞ!」というビラが学内にたくさん貼られる中、週末にある台風が接近した月曜日に突然「台風上陸絶対阻止地集会!人民の力を結集して断固阻止するぞ!」というビラが張り出され、非常にウケていたものである。このように親の世代を子バカにしつつ、ポストモダンのキーワードをモテツールとして活用していた子供たちのうち、浅田の「逃走論」をまじめによんだスキゾキッズたちは、親たちが逃げ出すことができなかった、革命や逃走その他もろもろから、軽やかに逃げ出し、あたらしいポモな諸関係を構築するはずであったのだが、バブル崩壊後に結局は元革命戦士の親から小遣いをもらって暮らすニートとなっていったのである。その後しばらくポモ後の空白期間というか不景気な時代が続いた後、そろそろ1周していろんなものがリバイバルするのかなと思っていると「人新生の資本論」が出てきて、「脱成長型経済」や「コモン(共有財)」といったこのウン十年を無視したかのようなイノセント(アドレセンスというべきか)ぶりに、軽いめまいがしそうになりながら、あちゃー、と感じていたところに出くわしたのが本書評であった。

上から目線で申し訳ないが、われわれ団塊の世代ジュニアが意識的に無視してきた、「レーニン的「真理」を宙吊りにしながら、レーニン的批判を継続していく」新たな道筋がこれらの論考の中から出てくるのかどうか、楽しみである。もちろん、それには、目白四部作の隠れ主人公とも言えなくもない、「目白に住む小説家のおばさん」がソファーで延々歯磨きしながらぶつぶつ言う皮肉を、びびりつつも聞きすてないことが、大事なんじゃないかな。