2020年8月5日水曜日
真核代謝の謎
2020年6月13日土曜日
第166回 質量分析関西談話会「イオン化の新潮流」
第166回 質量分析関西談話会「イオン化の新潮流」
日時:2020年7月18日(土)14時00分~
会場:オンライン
(講演者はWEB-EXを使用します。申込受理された方にはWEB-EX参加用のアドレスをお送りいたしますのでPC等にて接続し、WEB-EXにてご参加ください。途中参加・途中退出は自由です)
定員:先着180名
今般の新型コロナウィルス(COVID-19)の流行拡大とそれに伴う社会情勢等を受けまして、第68回質量分析総合討論会は現地での開催が中止となりました。一方で、日本質量分析学会関西談話会としては、講演会等の実施による継続的な学術・人的交流が重要であるという観点から、第166回 質量分析関西談話会をオンラインで開催することとしました。今回は、「アンビエントイオン化」をテーマとして、2020年度の 日本質量分析学会「奨励賞」と「論文賞」の受賞者を含む若手精鋭の先生を演者にお招きして、オンライン講演会を開催します。日本質量分析学会関西談話会としては初めてのオンライン開催となります。どこからでもお気軽にご参加ください。
講演プログラム
1.
14:00~14:10
イントロダクションと講師の方々の紹介 川﨑英也(関西大学化学生命工)
2.14:10~14:50
PESI/MS/MSを用いたリアルタイム・メタボローム解析とBioinformaticsを融合したHigh-throughput platform: PiTMaPによる代謝プロファイリング
財津 桂(名古屋大学高等研究院 若手新分野創成研究ユニット・フロンティア/大学院医学系研究科)
3.
15:00~15:40
Atmospheric Pressure Dark-Current Argon
Discharge Ionization with Comparable Performance to Direct Analysis in Real
Time Mass Spectrometry(2020年度 日本質量分析学会 論文賞)
関本 奏子 (横浜市立大学大学院生命ナノシステム科学研究科)
4.
15:50~16:50
走査型プローブエレクトロスプレーイオン化法の開発研究(2020年度 日本質量分析学会 奨励賞)
大塚 洋一 (大阪大学大学院理学研究科)
5.
17:00~17:20 総合討論(質問の回答を含む)
司会:川﨑英也(関西大学化学生命工)
オンライン懇親会(参加希望者のみ。講演終了後、1時間程度、ZOOMによる質量分析に関わる話題などフリートーク懇親会を開催します)
参加費:無料
参加申込み:下記URL からお申し込みください【受付締切:2020年7月15日(水)】
URL:
https://forms.gle/8kdCvoWHQnEdRhwu5
※Web サイトからの申込がうまくいかない場合は、(1)氏名、(2)所属、(3)メールアドレス、(4)日本質量分析学会 会員番号、を明記し、下記メールアドレスまでお送りください。メールアドレス: kansai17_%_mssj.jp (送信の際は、_%_を@に変えてください)
世話人:吉野 健一(神戸大学)、川﨑英也(関西大学)、松田史生 (関西談話会世話人代表、大阪大学)
2020年6月11日木曜日
バイク乗り
2020年4月3日金曜日
あしたのために その 1
公立教育機関の春学期開講日を9月(正確には26週)にずらし、以後すべて5か月ずれで教務歴をまわす。
というものである。したがって令和2年度の卒業式は令和3年の8月末に行われることになる。
☆懸案の9月入学をこれを機に実現してしまえる。
☆予定を遅らせるなら何でもできるように思う。
☆2020年度は盆も正月もなくなるが、これはやむをえまい。
☆今年の4月から8月まではプログラミングのオンライン学習にあてるといいと思う。
2020年1月4日土曜日
新春読書
「長渕剛論」「宮崎駿論」(杉田俊介、NHK出版、毎日新聞出版)を読んだ。著者の書いた「芸術家・椎名林檎は、2020年の東京五輪に何を「賭けて」いるのか」という記事の「椎名林檎はオリンピックで何をしたいのかさっぱりわからないが不穏だ」という話ににまったくその通りだと思ったので興味を持って読んでみた。
どうもこの著者は「作品を通じで自分を語る」タイプの評論家らしい。「長渕剛論」はいまこの時代に男性というジェンダーを引き受けることとは何か?という課題について、自分の思うところを長渕剛の読解を通じて語るというものだ。たしかに、現在の物語における父親の機能の可能性の論考としてなかなか楽しく読めた。さらに、途中から筆者の一人称が「僕」から俺に代わるのだ。「俺」が語る文芸評論としても空前絶後の画期的な到達だろう。杉田氏自身が本論を通じて主体の置き場所を微妙に変えていくのである。それと並行してジェンダーに関する論考が陥るポイント(男らしさに関する議論が人間らしさと直結してしまい、ジェンダーと関係なくなる)にはきっちり引っかかっているのが味わい深い。僕じゃなくて俺っていわないと、男の話だっていうのがわかんなくなっちゃうんだな。たぶん。さらに、また隣人にやさしくあるためにどうあらねばならないか、という問題の解決よりも、問題設定の枠組みそのものをかっこに入れるという、肩の力の抜けたおじさんの知恵と長渕剛的であることとの両立のほうがむつかしそうだなぁという感想をもった。
「宮崎駿論」は杉田氏のアプローチのわかりやすい限界を示していると思われる。杉田氏は、宮崎駿のアニメーション作品にも、自分とシンクロできる領域を探しており、本書では、ある領域ではシンクロできたという報告である前半(魔女の宅急便まで)と、自分がシンクロできてしかるべき領域が宮崎駿の作品で十分語られていないこと(マッチョな父親の居場所)を妙に、愚痴るという後半に分かれている。最初私は、杉田氏が「宮崎駿の雑想ノート」や「飛空艇時代」原作マンガを読んでいないのではないかと訝しんのだが(そんなことはなかったけど)、これらの漫画群をよむとすぐわかるように、宮崎駿のアニメーションは、杉田氏の考えるような物語作品(テーマがあり、主張があり、表現があり、オチがきちんとなるお話)ではまったくもってないような気がする。なんか悪ふざけしている爺ちゃんの面白いお話、くらいなもんだろう。たとえば『ポニョ』の本質となる絵である「ポニョ来る」というイメージボードの作画過程などをみると、宮崎駿がながいながい苦悩というか、有無の苦しみを経て、うーーーんと唸ってじたばたした後、書くべきものを見つけて、絵を書く時のノリノリな(この場合「ワルキューレの騎行を口ずさみながら)おっりゃーっ、ドドドドーっていう感じを、アニメーションを通じてわれわれも体験する、ということがまずは重要なのであって、それ以外のテーマとか、それらしい主張とか、お話としての整合性とか、きちんとオチるオチとかは、全部後付けのような気がする。
2019年12月25日水曜日
Ryzen 9 + Anaconda + numpy
こういう場合はmkl-service パッケージを使う
> conda install -c anaconda mkl-service
として、各コアに分散する関数の最初のほうに
import mkl
mkl.set_num_threads(1)
として、mklに最小のスレッド数を1にせよと指令を出すと1コア内で完結するようになる。
さらに問題なのは、AMDのRyzen 9 3900xを積んだPCでWindows用Anaconda+numpyを利用するときである。PCを買ってから気づいたのだけど、Ryzen 9はIntelが開発しているMKLと大変相性が悪い。開発中のmfapyはnloptをソルバとして用いているので、
1.下記のように仮想環境mfapyを作成する。
2019年12月9日月曜日
シラバスの使い方
一方、なぜ、アメリカの大学教育現場がシラバスを必要としているのかについての考察が全くないのが興味深い。日本の大学教育現場ではシラバスがないと絶対に困るとは言えない。一方、アメリカでは、シラバスをせっせと作らないと絶対に困る切実な理由が、大学教員にも学生にもきっとあるのではないかと思われる。
アメリカの大学では成績不振者をどんどん退学させるらしく、卒業率は60%程度である(落第すると別の大学に編入したり、就職したりするそうだ。また、お金が足りなくなったとか、あまりにも厳しくてやる気がなくなった。という退学理由も多いらしい。あと、5年6年かかって卒業する例も多いらしい)。このようなシビアな環境では、
・学生は効率的に勉強するために事前に、どのような内容なのか評価基準等について詳細な情報が記載されたシラバスが欲しい。
・良い成績が取れなかった時には、低い評価につながった理由などを教員に問い合わせるだろう。また、「シラバスの内容と実際のクラスの内容が異なっていた。」などの苦情を申し立てることもあるだろう。下手すると訴訟を起こしたりするかもしれない。
・教員が、このような苦情に対応していくには、教育内容および達成目標を明記し、評価基準を明確化する必要がある。あなたは○○という達成目標が達成できなかったので、落第です。と説明する責任を負わされている。
ようするに、「何とか卒業するための情報源としてのシラバス」「落第しそうになった時にケチをつける根拠としてのシラバス」「落第する学生の苦情から身を守るためのシラバス」だったら、まず間違いなく活用が進むだろう。その副次的な結果として高い教育効果が得られる場合があると考えるのが妥当な気がする。
一方、前提となる環境が全く異なる日本の大学では、アメリカの大学と同じスタイルのシラバスを運用する切実な理由はなさそうだ(ときどき成績に文句のある学生が、「私はシラバス通り勉強したつもりですが」という、本来のシラバスの利用法をおこなっているのを見る)。シラバスは、事前に何を教わるのかあらかじめ明記することが必要な、自動車教習所とか英会話学校のような場所では、有用であるのは間違いないだろう。一方、教育ができることを「事前に何を教わるのかあらかじめ明記」できることだけに制限してしまうというのが、シラバスの問題点であることも間違いない。
追記:という話をイギリス出身の方にしたら、そんなわけでもないけどね、、というコメントでした。この記事もまた、「データに裏付けのない個人的経験に基づく価値判断」なのでありましょう。反省。。