2020年8月5日水曜日

真核代謝の謎

代謝の設計原理の理解は、代謝に関する「予測」をするために重要です。例えばバクテリア(大腸菌など)は、他のバクテリアと資源の競合が起きたとき、他のバクテリアを殺す・食うという方法をとるよりは、他のバクテリアよりも速く増殖する。という戦略をとっていると考えられています。そこから、ゲノムサイズは小さいほうがいい、などの観察結果が説明されます。
これを「代謝の設計原理」に読み替えると、
・バクテリア(大腸菌など)の代謝フラックス分布は「増殖が最大になるように」最適化されているはず。
という仮説が立ちます。そこで、フラックスバランス解析法という化学量論(化学反応式)に基づく代謝シミュレーション法では、
・増殖最大を目的関数として、線形計画法で代謝フラックス分布を最適化
しています。経験的にこの方法で最適化すると、実際の代謝フラックス分布によく似た結果が得られるので、経験的に仮説が実証されました。

すると、代謝酵素の遺伝子を破壊した時や、代謝酵素の阻害剤を処理した時の代謝フラックス分布も、その条件下で、増殖が最大になるように代謝フラックス分布を最適化することで予測することが可能となります。これが、無茶苦茶便利なため、必須遺伝子といった基礎研究が、代謝工学、創薬などの応用研究に活用される原動力となりました。

一方、真核生物の出芽酵母は、酸素がある状態でも、あえて呼吸というエネルギー獲得効率のよい酸素が必要なATP再生方法(最終産物はCO2)をあまり使わず、発酵というエネルギー獲得効率の悪い、酸素が不要なATP再生方法(最終産物はエタノール)を用いることが知られています(クラブツリー効果といいます。)。大体取り込んだグルコースの8割程度をエタノールに変換しています。
「増殖最大」を実現するには、呼吸のほうのが圧倒的に有利なため、酵母の代謝は「増殖最大」とは、異なる原理で動いていることになります。出芽酵母は自然界ではふわふわと空気中を漂っており、花の蜜や果物の汁があるところにうまく到達すると、その環境のグルコースをいち早くエタノールに変換して周囲にバラマキ、他の菌の侵入を防ぐことで、その場のグルコースを総どりします。最終的には、エタノールも再び取り込み、呼吸でエネルギーに変換する。という生存戦略をとっていると考えられます。そこから、「エタノール生産最大」という目的関数で最適化をすると、呼吸がゼロという現実とは異なる結果となってしまいます。そこで、「必要酵素量効率化説 (Mol Syst Biol (2009)5:323)」「栄養源輸送上限説 (Mol Syst Biol (2011)7:500)」「自由エネルギー生成上限説 (Nature Metabolism (2019)1:125-132)」など、他の目的関数や制約が提唱されていますが、これだ、という決定版はまだわかっていません。
がん細胞となると、謎はさらに増えます。出芽酵母のクラブツリー効果に相当するワールブルグ効果という現象が知られています。少なくともこれまで我々が調べた、13種のがん培養細胞では、取り込んだグルコースの8割以上を乳酸に変換して細胞外に排出していました。さらに、全てのがん培養細胞はグルコースの1/10~1/5程度のグルタミンを取り込んで、炭素源として代謝しエネルギーを得ていました。しかし、グルコースを基質とした呼吸を行えば必要なATPを得られるのに、あえて効率の悪いクラブツリー効果やグルタミノリシスを行っているのか?という点について、合理的な説明ができていません。つまり、代謝の設計原理の理解がわからないため、がん細胞の挙動について、代謝という観点から「予測」することもできていないのが現状です。
そこで、がん培養細胞の代謝設計原理を解明するため、まずはファクト=データの収集から始める。という作業を行っています。

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