2020年8月30日日曜日

問題発見力を鍛える

 「問題発見力を鍛える 」(細谷功、講談社現代新書)を読んだ。とある偉い先生がある会議で「学部生向けの演習セミナーで<問題発見フレームワーク>を取り上げたら学生の目からうろこが落ちていた。」という話を聞き、それはすばらしいとおもって手近にあった本書をよんでみた。

本書の最も重要な指摘は全体の3/4くらいに出てくる。「他人は多くのものを見落としているので、他人が見えていないものが見えたら」「巷にたくさんある「問題解決フレームワーク」を問題を整理する方法として活用し、その整理結果を複数人で共有するのだ」というあたりであろう。

私の恩師は、野口悠紀雄の「超」整理法などを愛好する自称「整理法マニア」で、いろんな整理法の本が出るたびにいそいそと買い込むものの、特にデスクのあたりが片付いた様子はなく、しばらくすると、いつもの飲み屋で、やっぱだめやね。そろそろ整理法の整理法が欲しいなあ。とおっしゃっていたものである。

私のような不肖の弟子としては、もちろん、「解決すべき本質的な問題とは、簡単には整理、分類、言語化するのが困難なものであり、ある整理法について検討すべきは、その方法がある問題を解決する鮮やかさではなく、問題の解決に失敗する、正しく問題を取り逃がす、取り逃しっぷりであり、そこから真の問題解決に至る糸口を何とかみつけようとする、終わりの見えない問題に取り組む不屈の精神」を見てしまうというよりは、「問題を整理できてしまう(=解決できてしまう)と、整理法マニアとしての趣味が失われてしまうので、そもそも問題の解決って=小さな親切、大きなお世話かもしれないのだから、問題を解決=善とするような、せせこましい問題の設定に対する批判精神」を読み取ってしまうのである。しらんけど。

あと、「問題発見力を鍛える」を読んで問題発見力を鍛えてもらったので、「問題発見力を鍛える」の問題点について考えてみると、本書のようなよくできた「問題発見フレームワーク」で見つかるのは、「問題解決フレームワーク」とかで簡単に解決できそうなしょぼい問題ではなく、解決するのが極めてむつかしい、あるいは、解決できない問題のような気がする。しかし、そのような問題を見つけても(解決できないので)なんの解決にもつながらないのだから、「解決できそうな問題を発見する力を鍛える」方法を指南すべきなのであるが、本書で説明されている「問題発見力」はとても有用なので(ぜひ、読むべし)、「解決できない問題の発見力を鍛え」てしまっているのが本書の最大の問題であるということを発見してみた。本書は、解決できない問題を発見してしまったときに、どうしたらいいのか?それに最後まで付き合い責任を取る覚悟があるのか?という点に関する説明が抜けている。

私の恩師は、通勤途中に読み終わった終わった本をよく、手近な学生にくれたのだが、ミステリ小説が多く、そのなかでも酔いどれ探偵もの(リーバス警部シリーズの血の流れるままに、矢作 俊彦のTHE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ、とか)が多かった。探偵とは「問題発見力」がとても高い人たちである。その中でも酔いどれ探偵とは、「自分が何かを見つけてしまったために、何かを失った」人たちである。殺人事件が起きると、「問題解決フレームワーク」的なやり方で解決が図られるが、探偵はフレームワークが見落とした何かが隠されていることに気づいてしまい、そして、問題が本質的な意味で問題であること、つまり、発見した問題はできたとしても部分的にしか解決しえないこと、部分的な解決をするにしても、関係者、あるいは探偵自身の生活に不可逆的な変化を起こしてしまうこと、を暴いてしまう。もちろん酔いどれ探偵は、「問題にふたをする」という安易な手段は取らず、たいていはかなりイタイ思いをして、部分的な解決まで済ませた後、やれやれといってまた、自分が見落としていたはずの何かを求めて、酒を飲むのである。酔いどれ探偵ものこそ「問題発見力を鍛える」ための生きざまを知る最高かつ楽しいガイドになるのではないか。


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