- (ノーベル賞受賞や哲学者、芸術家のリストを見るに)ユダヤ人たちは多くの領域でイノベーションを担ってきた。
- ユダヤ人たちが民族的な規模で開発することに成功したのは「自分が判断するときに依拠している判断枠組みそのものを懐疑する、自分が自己同一的に自分であるという自同律に不快を関知する(今をつくりかえてしまうよりよい何かがあると考え、そのために自分自身の限界を超えようとする)」能力である。イノベーションとはそういうことができる人によって担われる。
- これはユダヤ教における特異な時間感覚に起因するらしい。
- 「私はこれまでずっとここにいたし、これからもここにいる生得権利を有している」のではなく、「私は遅れてここにやってきたので、<この場所に受け容れられるもの>であることをその行動を通じて証明して見せなければならない」と考えるところから上記のようなイノベーティブな能力が生まれる。
- 別の言い方をすると、「すでに存在するもの」の上に「これから存在するもの」を時系列に沿って積み重ねていこうとする思考ではなく、「これから存在せねばならぬもの(イノベーション)」を基礎づけるために「いまだ存在したことのないもの」を時間的に遡行して創造的な起点に措定しようとする思考がイノベーションを生む。
- 私は遅れてここにやってきた、と考えることがイノベーションの起点である。これは善をめぐるアクロバティックな思考に由来する。
- 私が過去に犯した罪について、神への恐れ、神の下すであろう厳正な裁きの予感が私を善に導くことはない。それは善ではなく恐怖であり、外部にある戒律に盲従して、処罰を免れようとする「幼児」である。
- 自らの良心に基づいて善を指向する成熟した「大人」となるには、善への指向は私の内部に根拠を有するものでなくてはならない。それにはこう考えるしかない。人間はまず何かをして、それについて有責なのではない。人間はあらゆる行動に先んじて、私は自分の犯していない罪についてすでに有責なのである。「自分の犯していない罪」とは決してあってはならないことであるが、私の善性を基礎づけるために根源的な罪に関わる偽りの記憶を私は進んで引き受けなくてならない。「自分の犯していない罪」について有責であると認める、いいかえると、私は現在に対して返さなくてはならない借りがある。私は借りを返すためになにかしなくてはならない宿命を持つ。と考えることが善の起点であり、イノベーションの起点にもなる。
- そして、善が存在するには。人間は「一度も存在したことがない過去」を自分の現在「より前」に擬制的に措定しなくてはならない。そのためにこそ、そのつどすでに取り返しがつかないほど遅れて到来したものとしておのれを位置づけなくてはならない。
ね。ややこしいでしょ。ですが、この枠組みでイノベーションに関するほとんどのネタを取り扱えますよね。
- 異分野融合=>私は遅れてここにやってきた、場所を人工的に作る。
- ビジョン=>宿命。あるいは「自分の犯していない罪」
- 風通しのいい組織=>大人の組織
ってなぐあいです。
非イノベーティブな振る舞いも簡単に判定できます。
- 「私はこれまでずっとここにいたし、これからもここにいる生得権利を有している」=>地元愛ヤンキー、ネタ大好き大阪人
- 「すでに存在するもの」の上に「これから存在するもの」を時系列に沿って積み重ねていこうとする=>受験勉強あるいは、出口のみえなくなった応用研究
- 「幼児」=>いわゆるリーダー
またイノベーティブの人材の育て方の指針も得られます。
- 私は遅れてここにやってきた=>転校させる。あるいは、ルールのわかりにくい、複数のルールが併存するわかりにくい空間にかえる。
- 「いまだ存在したことのないもの」を時間的に遡行して創造的な起点にする=>運命(さだめ)論教育(君が今ここにいるのも、誰かに出会うのも宿命あるいは運命であるのではやくあきらめたもんが勝ちである)
- 善への指向は私の内部に根拠を有するものでなくてはならない=>なにかは自分で学ぶものだ。
ものすごく使える論考ですので、イノベーションに興味のある方はぜひ。